日々、菩薩の道

菩薩の道を記していきます!
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時代

私は常に時代というものに触れてきた。時代の中心に位置してきたといってもいい。
今まではそれがよくわかっていなかった。だから、なんとなくIT時代には、流行る
サービスを当てられる程度の認識しかなかった。

しかし、振り返ってみると、時代魂の人間たちといつも接点があった。
ところが私の悪い癖で、どんなに社会で有名であろうと、だから何なんだと
見てしまうところがあり、天の邪鬼的に逆にそういう人から避ける傾向があった。

今の鳩山首相とだって、民主党のIT勉強会に呼ばれて、そこで会ったときに、
もっと仲良くしておけば今また違っただろう。麻生さんも総裁になる前に接点があった。

私はそういう著名人だからと接点を持つのを意識的に避けてきた。
お店にもたくさんの人がきてくれていたが、こちらからアクションをすることは
ほとんどなかった。つながる人とは自然と繋がると思っていたし、事実そうだったけど、
努力を惜しんでいたのも事実だ。

自分の小さい概念にとらわれて、人を色付けしていたのだ。

それでもわかったことは、今までの投資やすべての行為は生きているということだ。
一番の事実は、私が「次は沖縄だ!」と言い出してから、急に沖縄の存在が浮上してきたことだろう。

今や沖縄なしに日本は語れない。
今や沖縄なしに経済は語れない。
今の日本の経済だって基盤を作ったのは沖縄が強く関連しているからだ。
細かいこともたくさんあるから、そうしたこともそのうち書いていこうと思う。
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自然界の法則

ここでいう「自然界」とは、山や海などという、いわゆる「自然」的な生態系の話ではなく、
この世の全ての事象を含めた世界のことである。
人間や人間が作り出したモノも自然の一部だ。

普通の世界であろうと、特別な世界であろうと、「物事」というモノは、
上手にそれを活用できなかったり、持っている人の器に相応しくなかったり、
何かが矛盾していたり、それらを活性化できなかったら、結局淘汰され、
なくなってしまう。

そして、その「物事」は、巡り巡って相応しい人に渡るようになっている。
それが自然界の法則だ。以前江戸城の話をしたのを覚えているだろうか?

例えば、会社もそうだし、建築物や芸術品などもそうである。
個人的資産を例にとってみるとわかりやすい。

個人で資産を所有する人々は、常に「相続税」を気にしている。
そして、相続税を取られないように、税金対策に奔走するのである。
今ごろ、4月から法律変更ということで、資産相続に大慌てだろう。

しかし、相続税とは「自分の資産を世の為、人の為、社会の為に使うことが
出来なかった個人に対するペナルティ」なのである。

つまり、相続税を取られるような人、もしくは相続税対策に奔走している人は、
その資産を持つに値しない、その器がない、ということを意味しているだ。

だから、国に没収され、資産を失う。
なんとか相続税対策を立て、没収されなかったとしても、その器がないのだから、
結局はその資産はあらゆる形で失われ、それを所有するに値する人物のもとへ渡っていく。
それが「自然界の法則」である。

だが、普通の世界では、科学で証明できていない法則は一般的には受け入れられないので、
自然界の法則は無視されている、もしくは認識されていない。

特別な世界では、その法則があるものとして思考、行動するため、
科学を超えた理屈では説明できない出来事が当たり前のように起こるのである。

普通の「物事」は淘汰される。
しかし、念は一生残る。
人間が本気で込めた念は、実際の物質である。

私が人生で最も尊敬する方の特別室を見せてもらったことがあるが、
そこには国宝レベルの陶器や芸術品が置かれている。

それらがなぜ今まで割れていないのか?
2000年前に創られたガラスや陶器がなぜ残っているのか?

2000年前のモノが、2000年間何もなかったのか?
いや、戦争も、盗難も、災害も、何もかも経験し、それでもなお壊れていない。

それは何なのか?価値がわかる相応しい人たちに、相応しい場所に置かれて
次々とリレーされてきたから残っているのだ。

またそこに込められた念という物質の影響もある。
念が込められているので不思議と守られているだけなのである。
そして、その念を持てる器のある人物に自然と渡るようになっている。

私が現在創っている特別な世界は物理法則をも超えている。
信じるか、信じないかは踏み入れたものしかわからない。

知恵 | permalink | comments(3) | trackbacks(0)

国は崩壊しコロニーが生まれる

国や地方自治体はすでに崩壊過程に入っている。
すでに日本の借金は800兆円を超え、世界第二位の日本のGDPは
今年までで来年には中国に抜かれる。

そして本日の朝日新聞一面記事の見出し。
‘悪夢「20XX年」日本破綻’大手新聞でここまで踏み込んだ記事が
かつてあっただろうか?

日本の象徴であった「日本航空」も破綻してしまった。
また世界のトヨタがこうなるとは、だれが予測できただろうか?
世界的にみて、日本はすでに死にかけている。

この貧困国の国内のみで経済が回るはずがないにも関わらず、
多くの国民は未だ世界を見ていない。世界の中心であったアメリカは、
すでに日本国など眼中になく、中国及び中央アジア諸国を見ている。

今後、日本は素通りされる国になるだろう。
すでに日本人は無意識のうちに戦えない人種になってしまった。
今のままでは、これから日本が世界の中心になることはなく、
どこか発展する国の金魚の糞のように動く癖がついてしまっている。

日本の金魚であるアメリカはすでに瀕死の状態である。
リーマンショックやサブプライム問題によって、死にゆく金融機関を、
連銀が救済に入ってなんとか回復してきた、という報道が流れているが、
すでに連銀すらゾンビ状態だ。

いくら回復してきているとは言っても、実際にアメリカは失業者が増える一方だし、
不動産価格も落ち続け、ローン破綻の増加も止まっていない。
今の状態は1930年代の世界恐慌と似ている。
今年の夏以降に、もっとひどい不況の二番底に陥る可能性が高い。

日本の金魚がそんな状態だから、その糞である日本の経済は益々疲弊していき、
地方自治体もうまく機能せずに、国のシステム自体が寿命を迎える。

国というシステムが崩壊後、人々はそれぞれが生き、最小単位のコロニーになる。
世界の再構築が始まり、時代に乗り遅れる人は、淘汰される。

破壊と創造である。
これほどの世界的大変化に直面出来ることはそうはない。
面白い時代である。

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肩書きの限界

2005年前後、「デスノート」という漫画が連載されていた。
人を殺せる死神のノートを使って理想郷を作ろうとする「キラ=夜神月」と、
「キラ」を捕まえようとする「L」という探偵とその後継者の物語だ。

お互いに、知恵をこらして名前も顔も知らない相手を探し出す、
という大雑把に言えばそんなストーリーだ。

デスノートで面白いのは、「キラ」が「L」を倒した後に、「キラ」が「L」にもなり、
また「L」の助手の「ワタリ」にもなっているということ。
一人で何人もの役をこなしている。

「キラ」と「L」は同一人物になるが、見せかけの対立をすることによって、
まるで本当に存在しない人間を存在するかのように見せている。

これは「一人は一人」であるという概念を吹っ飛ばしたものであり、
実際にこの手法は特別な世界ほど使われている。

例えば、私の尊敬する沖縄の人物は、あるところでは「黒幕」、
あるところでは「資産家」、あるところでは「宗教家」、あるところでは「政治家」、
あるところでは・・・、といくつもの顔を持っている。

世界を創っている人間というのはそういった人であり、本当にすごい人間というのは、
見る角度を変えるだけでいくつもの顔が見えてくるのだ。
多重人格とも違い、我々がよく使う言葉として、「霊」と呼ぶことができるモノだ。

物語内では、夜神月=優秀な学生=キラ=L=繋ぐ者=・・・であったりする。
これは頭の中で、同時に2つ3つの思考をしているのだ。
つまり、世界を動かすくらい本当にすごい人は、いくつもの顔を持っている分だけ、
同時に思考を展開している。

これは普通の世界に生きる人、つまりは、肩書を持って「自分は〜〜です。」と
言いきってしまえる人は、一生たどり着けない領域であり、絶対に超えることのできない壁なのである。

これは漫画のなかの話ではない。
肩書きをつけることによって、人は自分自身で可能性をそこまでの領域に留めてしまう。
そうであるほうが安心できるからだ。
そして、さらに上の肩書きを求めるようになり、どこまでいっても満足しない。

大企業の社長であれ、その肩書きで押さえつけられている。
本当にすごい人は、名刺に肩書きなどは書いていない。名刺さえない。
「人間」で勝負するのだ。

自分が培ってきたオーラのみで勝負できるからだ。
また、それを支える環境が構築されているからだ。

こうした特別なやり方も、ただ手法だけ真似ると輩(やから)となる。
例えば、詐欺師。一人何役もこなして人を騙すが、それは自分の利益のためだ。

すごい人間の場合は、相手を導くために、話しを受け入れやすくするために、
その人に合った顔となる。観音様が相手に応じて多彩な顔をするようなものだ。
自分の利益ではなく、その人の為にする行為なのだ。

しかし、人はその愛に気づくより、自分の概念を優先し、
「何者なのだ?怪しい」と警戒してしまうのだ。自分の概念が世界を狭くする。

本当に愛から来ているのか?利益のためにやっているか?
これを判断するのは難しい。しかし、すべて向き合って逃げずにいれば、
自ずと答えはでてくる。インチキは長続きはしないものだ。

本物しか残らない。
肩書きを超えて、自分の本質を磨き続けよう。
知恵 | permalink | comments(4) | trackbacks(0)

想いという繋がり

この世界が本当に美しいと感じたことがあるだろうか?
日常の概念から解き放たれ、素直に世界に触れたとき、
自然と涙があふれるほど感動する。

なかなかそんな心境にはなれない。
人間はちっぽけな存在だ。どんどん小さいほうに嵌っていく。
小さく小さくまとめようとする。

それは安心したいからだ。けれども、安心なんていうものは幻想だ。
ただ生きることが安心であるならば、死ぬことが最大のリスクなのであろう。
しかし、人間はみな死ぬのだ。

だから、死が身近になると、自分が宇宙(大きな世界)の一部に過ぎないことを実感する。
本当はこの世界は驚きと感動で満ちているはずなのに、
つまらないものにしているのは自分の常識、概念なのだ。

人は感動しているとき、憎悪の感情を持つことは出来ない。
いつも感動している訳にはいかないが、一度でもこの世界は素晴らしいと
感動したならば、生きることに前向きになれるだろう。

どんなにビジネスが上手でも、想いがなければ空虚なだけだ。
現代の価値観から見て、自分が無能だったり常識的でなかったとしても、
それが活かせる方法はあるし、それが活かされる場所もある。

またそれが活かされなければ次の世代では発展しない。
どんな人にでも持ち場がある。

それを作れる生態系こそが新たな国づくりの礎となる。

かえって、いま仕事ができないと思われている方が価値がある。
(堕落と諦めで仕事をしないということとはまた別の次元だが。)

今の価値観に適応している人は、次の価値観には適応しづらい。

時代が変われば、価値観も変わる。
今の価値観に適応できていて、一般的に仕事ができると思われている人はそこに執着しやすい。

逆に、もっと頑張りたいのに、今の価値観に押しつぶされて、こんなはずじゃない!
と思っている人のほうが次の時代にすぐ入っていける。

純粋な想いだけを大事にしよう。
そして、その想いで繋がっていこう!
徒然なるままに | permalink | comments(1) | trackbacks(0)

人間はどこで満足するのか?

普通の世界は、比較によって思考されている。

例えば、ブルジェドバイ。世界一高いビル。
上空は人間にとって適切な環境ではない。
高すぎるほど、景色という美は損なわれ、開きもしない窓に囲まれた閉鎖空間である。

そこに何があるのだろうか?
その先に何があるのだろうか?
くだらない見栄の張り合いである。
次に、どこかの国が「こっちのほうが高い!」などと言って、
追い越し追い越されの、永遠の魔界の入口でしかない。

例えば、コーヒー。
「このコーヒーおいしい!」というのは、〜と比べておいしい、ということだ。
では、豆がよかったらおいしいのか?
プロが入れたらおいしいのか?

どこまでいったらそのおいしさに満足できるのだろうか?
その先に人間として満足できるところなどない。
一時の幸せでしかない。

世界一おいしいコーヒーでも毎日飲んでいたら飽きるものだ。
人間とはそういう生き物である。

例えば、お金。
どれだけお金を持っていたら満足なのか?
お金をいっぱい持っていて豪遊できたら満足なのか?

その先には孤独と虚しさがあるだけだ。
自分はお金を持っている!と言っている人間こそ、本当は寂しいのだ。
寂しくなかったらそんなことを他人に言う必要はないのだから。

どのくらいお金を持っているかなんて、比べても上には上がいて、
どこまでいっても満足しない。

逆に失う不安に陥るだけだ。
一番魔界に入りやすい魔物である。
お金を持つのであれば、まずは、それを持つことができる器を身につけなければならない。

「比較」は魔界の入口になりやすい。
比較はキリがない。終着点がないのだ。
終着点がないということは永遠にそれに囚われ執着し、抜けだせないということ。
つまり、その先には何もないということだ。

どんなに栄光を掴もうが、それは過ぎゆくもの。

私は、あなたに自分のオリジナルの魂を見つけ出すためのキッカケを与えることができる。
その環境が整った。
みんなに時代を享受してほしい。
知恵 | permalink | comments(5) | trackbacks(0)

因縁の特性

最近、夫婦間の相談で聞かれることが多い質問に、
「因縁の相手とは切れないのか?」というのが多い。

結論から言うと、切れることは切れるが、また同じことを繰り返すだけだ。
離婚した人はまた離婚するのと似ている。
相手が問題ではなく自分が問題なのだから。
だからといって、絶対関係を切るなというものでもない。

そのニュアンスはケースバイケースだ。

また濃い因縁ほど切れづらい。関係を切るのも一苦労だ。それなら、
因縁に向かった方がいいと私はおもう。逆に言うと、なかなか切れないのだから
思い切っていろんなことをやったらいいともいえる。

ひと口に因縁に向かうといっても、馬鹿正直に自分の思うがままに
ぶちまけろというのではない。相手を想うだけでも向かうことになる。
要は諦めないことが大事だ。

困ったときは、止めるのではなく休むことが大事だ。
まずは距離を置くことから初めてみることをお勧めする。
お互いに冷静になり、いろいろ考えることができるだろう。

因縁の相手に対する感謝が突破口になる。
知恵 | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

シンクロニシティ

シンクロは、気がつかないと意味がない。

我々の世界では、シンクロが頻繁におこる。すると、論理を超えたつながりが生まれ、
一足飛びに事態が進展する。これからの社会は、こうしたことが自然になっていく。
いま常識とされている論理的なやり方が、効率悪いことがわかってくる。

シンクロに気づけるか?これからの主流の人間には必須のスキルだ。
そして、その流れに乗ることが出来るか?時代を創る人間に必須の特攻精神だ。

多くの人は、意味ある偶然(シンクロニシティ)とは捉えず、偶然の一致と捉える。
それでは何も生まれない。

シンクロの連続こそが、非連続な結果を生み出し、驚異的な出来事を出現させる。
振り返ってみれば、絶妙なタイミングの連鎖による化学反応のように。

時代の変化というのは、こうしたシンクロにより加速していく。
絶妙なタイミングが重ならない限り、大きな変化は一気には起きない。
ドミノ倒しに似ている。バタフライ効果といってもいい。

手元の些細な一手が、やがて大きな変化として戻ってくる。
これが意識できないと、今の現実に潰されるだろう。

世界を単純な因果関係とみるか、
もっとダイナミックで有機的な世界と見るかで意識は変わる。

近年、時代の流れを見ると、企業の発展も論理の世界である程度まではいけることがわかったが、
そこからの飛躍はないということもわかった。その先はシンクロの中に飛躍の芽が隠されている。
その信号に気づくものが、成果を得られるだろう。
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因縁の戦い

魂の進化のために因縁は存在する。因縁との相互作用で人は進化をする。
人は人によってしか磨かれないというが、どんな人でも磨かれるという訳ではない。
例えば、知りもしない人から欠点を指摘されても、感情的に受け取ることはないだろう。
他人からみたら、そんな風に映っているのかと冷静に受け取れる。

でも、その意見が親や兄弟、恋人、夫婦、親友からだと、途端に感情が入り
冷静に意見を受け取ることが出来なくなる。普通、全く頓珍漢な指摘であれば、
「それは違うよ」と冷静に受け取れるのだが、因縁からの指摘は正しいかどうかより
その人にとって一番指摘されたくない部分を指摘してくるので、更に厄介になる。
これは、良い悪いではなく、その人が傷つく部分を無意識に理解しているのだ。

だから、因縁ほど言葉に気をつけなくてはならない。
言葉で、人を救うことも殺すこともできるのだ。日本は特に因縁間の殺害事件が多い。
たった一言で、相手の感情に火をつけて、逆に刺し殺されたりする。
傾向として、女性は言葉で、男性は暴力で表現しやすい。

言葉の暴力、肉体の暴力。どちらも愛があれば、愛のムチになるが、
それには感情を制御できなくてはならない。大抵は相手を傷つけるだけだ。
心に長く残る傷になるので、こうしたことは避けたいが、これこそが因縁の学びで
そこから人は成長する。嫌なことだと避けていては、何も得られないのだ。

また、因縁の関係でよくあるのが、意味が分からない言動をするということだ。
鳩山兄弟がいい例だ。兄と弟、肉親なのだから不利なことをしないようにするのが
普通と思うが、因縁だから逆をしたりする。

今まで何度も話題を振りまいているが、今回も弟が発端で、自分の母親まで
また巻き込んで、兄を傷つける。これはかなり吹っ切っている例だが、
どんな人にでもこういう例はある。しかし彼らは親不孝ものだ。

ここでこんなことして、誰も得にならないのに何故こんなことをするんだろう?
と思ったことはないだろうか?もうこれは普通に理解しようとしても無理だ。
ストレスがたまるだけだ。

その背景には、二つの原因がある。
一つは、発言した本人の魂が自分の人生に納得していないためストレスを発散している。
二つ目は、相手の魂の進化のために、気づきを与えるための例。

どちらも、大抵は無意識だ。だから厄介なのだ。
当事者同士も本質的な理由がわかっていないのだから、いくら議論や説明をしても
解決をすることはない。また違う理由で意味が分からないことをしだす。

一見、意味がわかることでも、それは表面的な問題で、それを解決しても
また違う表面的な問題がおこるだけだ。
例えば、親が子供に勉強しなさいという。
子供はおとなしく勉強したと思ったら、次は部屋が汚いと言い出す。といった具合だ。
どんどんあら探しをする。他人の子供と比べたりすればいくらでも問題はでる。

人を非難する前に、自分に向かうべきなのだが、それはやり方がわからないし、
面倒で大変なのでそれを避け、他人のあら探しをしてしまうのが多い。
先ほどの例では、子供に向かう前に親自身が自分の人生に満足をしていないことの方が重要だ。
本当に子供(相手)のことを想って、愛から出た言葉であれば、子供(相手)には素直に通じる。

しかし、指摘されたことにも真摯に向かうことが大事だ。
それは、言葉通りではなくて、その言葉の奥にあるメッセージを受け取れたら、
自分の進化につながるヒントを得られる。

よく仕事では摩擦に向かう人は多いが、本当に人間的に学べるのは、因縁の相手なのである。
仕事の相手は、ビジネスとして割り切って我慢できるからだ。

大抵の人は、因縁の相手とは諦めの関係になる。
すると、一番身近な赤の他人となってしまう。
因縁は、最大の味方でもあり、最大の敵でもある。

一番エネルギーを吸われる相手でもあるし、
一番エネルギーを与えてくれる相手でもある。

自分が成長すれば、相手も成長する。相手も成長すれば、自分が成長する。
こうした相互作用で人は進化することが出来る。

こうした特性を理解し、魂の成長に役立ててほしい。
相手が因縁だと理解するだけで、ストレスは減るだろう。
知恵 | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

ベトナムの可能性

北朝鮮のデノミとドバイの崩壊」でも書いたとおり、世界の大投資家は、
ドバイのような堅実で花形の場所に投資もすれば、北朝鮮のような
超ハイリスクハイリターンの場所にも投資をしている。

そして、ベトナムも社会的には閉じられた国(社会主義国)であり、
これから発展することがわかっている国で、投資も集まっている。

以前ホーチミン市の7区と呼ばれる開発地帯を視察してきた。
高級住宅街や最新の近代建築ビルなど、最新鋭の開発がされている場所だ。
道路も片道7車線という。渡るだけで一分以上かかりそうだ。
さらに遊園地のようなものまで作られている。

ホーチミン市の1区(中心)周辺では、まったく言っていいほど、観光地やデートスポットなどの
エンターテイメントが無いのである。観光するにしても、3日も周ればもう行く場所に困るほどだ。

ホーチンミンシティで生活している市民はどこで遊んでいるのだろう、と不思議になる。
もちろんベトナムにもカップルはいて、友達グループ、家族グループがいる。
また意識の高い人間もたくさんいる。

だからこそ、彼らのエネルギーの行き場所がないのだ。有り余っている。
ベトナム人が持っているエネルギーを有効活用する提案をできればと考えている。

沖縄プロジェクトの一環として、我々はクーピーアートをベトナムでもおこなっている。
ベトナム人のエネルギーを、良い方向に導いてあげたい。
そのために、クーピーアートは最高の活動である。

発展途上のときから、こういった助け合いの精神、福祉の精神を持つことは、
国をより良くするのに必要不可欠である。日本のように、お金だけに走ってしまう人が
増えてくると、ろくなことがない。

ベトナムは社会主義国であるため、NPOという団体の概念がない。
しかし、その意味や本質は伝えることができる。
ベトナムの人のなかにも、その本質を理解し、
「これからのベトナムには絶対に必要だ!」と頑張ってくれる人が増えてきた。

ベトナムでは、「集合罪」と呼ばれる法律があって、人が集まって活動することに制限がある。
下手すれば掴まることも十分あり得る。革命で出来た政権なので、革命につながる動きに敏感だ。

しかし、クーピーは大義ある活動であるため、むしろ捕まえる側の公安(日本でいう警察)の
人間ですら、今では一緒に応援してくれるのだ。最初は大変だったが。

今後はさらに沖縄とベトナムの連携が強くなっていく。

イメージとしては、今まで沖縄、東京でやってきたジョイント、またクーピー、猫寺、バースなどが
入口となり、未だ東京で彷徨っている経営者や資産家、そして意識の高い若者たちが、
沖縄をハブとして、ベトナム、そしてその先の世界に繋がっていくことになるであろう。

先日、新たなランドラッシュのことがNHKで放映されていた。
世界中で農地争奪戦が進められている。その中でもベトナムは大農業国で注目されている。
しかし、社会主義国故に一筋縄ではいかない。

我々のように、利益だけでなく、社会をよくする運動をまず行ってから入るやり方が
結局はうまくいくだろう。展開の仕方も新しいやり方で、時代の先駆けなのだ。

興味ある若者はどんどん参加してほしい!

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