旧 日々、菩薩の道
 
Six Degrees of Separation
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    節目の季節ですね。出会いと別れ。出会って初めて気づくこと、別れて初めてわかることがあります。私は特に感じないとわからない馬鹿なんだなと実感しています。どんな体験も、どういう解釈するかで意味づけが変わってきます。同じ体験でも解釈が変われば、感じ方も変わります。過去に感じていたことと、今とでは全く違った感じ方をする体験もありました。

    人の印象もそうです。冷たい人なのかなと思っていた人が、実はとても優しい人だったりしたこともあります。かつては、早急に判断を急ぎすぎていました。長い目で見ようということと、そうでないことの区別が曖昧で、自分にとって都合の良いように見ていたのです。そのお陰でというか、背負うべきではないことまで背負ったりして、身の程を思い知らされ、自分の器を知りました。

    それでも、まだ期待をしてくれている人々がいることはとてもありがたいです。私は周囲の人間に対して、紹介して欲しいということを頼んだことはほとんどありません。紹介することはあっても、自ら求めることはあまりしてきませんでした。昔、Birthにはいろんな人種がやってきて、名刺の数だけは広がっても、そこから広げたいとも思えませんでした。つながる人は自然と繋がるだろうと思っていて、大体大きな出会いは相手からやってきてくれた恵まれた人生です。今だに紹介してもらって、新たな出会いをいただいています。

    ツイテいるからこそ、その有り難みや価値に気がつかないのです。視点一つで人生は変わります。私はかつてタイの山岳民族の村で水道工事のボランティアをしていた時に、そのことを痛感しました。知っているか知らないかで、人生の選択や幅を大きく変わるのだと。時代は必ず変わります。次の時代のヒントが沖縄にあるという想いに変化はありません。

    人がまだ気がついてない視点をわかりやすく説明してくれる講座が沖縄にあります。私にも暖かい想いをかけてくれている樋口さんの講座です。これからの未来を生きる指針の一つに、この講座で学べることがあります。沖縄まで行くことは大変です。しかし、それだけの価値はあると推薦します。

    目の前の人間を好き嫌いで判断したら、その人と、その人につながる人間たちを切り捨てることになります。嫌いであるからこそ余計に自分にはないものを持っているとも言えます。愛があれば人は自然と集まります。自然と集まる中に、予想もしない出会いがあり、その出会いこそが人生を変えたりします。わざわざ沖縄まで行くという選択肢は普通はないです。しかし、その先に見えない可能性があります。沖縄で大変な経験をした私がまだ沖縄に関わることを不思議がられます。その答えの一つはこの講座にあります。すぐにでなくても選択肢の一つに入れておいて頂けましたら幸いです。

    『次世代金融講座』第27期
    http://www.trinityinc.jp/updated/?p=8500​






     
    【2016.04.01 Friday 18:20】 author : oz
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    やせ我慢の美学
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      気が付けば私もいい歳になり、かつて私を引き上げてくれた先輩たちのように、刺激的な機会を創り出して呼ぶ側になったなと感じています。ちょうど、私より上の世代の方と下の世代の方たちとの中間管理職のような立場になったような気がします。なかなか双方が会う機会もないでしょうから、オシャレで粋な紳士たちと場の創造をしていこうと考えています。

      先日、世界一服にお金をかける男たちを紹介している番組を見ました。彼らはサプールと呼ばれていて、フランス語で「おしゃれで優雅な紳士協会」の略だそうです。実際その姿は格好いいですが、彼らの信念がまた素敵でした。エレガントに生きるというお手本として刺激を受けましたね。貧しくても洋服にお金をかける姿は共感されないでしょうが、まさにオシャレとはやせ我慢を地でいってます。月収が3万ないのに、300万くらい洋服にかけてるという有様ですからね。

      その中で、サプールという生き方を次の世代に伝えることをしている方がいて、その言葉が響きました。

      「愛情があるなら大人はいい習慣やいい行いを見せてあげるべきなんだ。

      いい服はいい習慣を生みそれで人は成長できるんだ。」


      この心意気には感動させられました。そして彼は弟子のために、自腹を切ってスーツをプレゼントしていました。こういうお金の使い方は素晴らしいし、次世代に残るやり方ですね。稼ぎはなくてもお金の活かし方を知っている粋な大人でまさに紳士です。今まで私は服装には無頓着できましたが、少しは彼らを見習っていこうと考えるほど痺れましたね。

      これほどの熱狂を生み出すファッションの持つ力は、人の根源的な部分に訴えかけるものがあります。ブランドは誕生してまだ数十年。大量生産されたものが高級品になるなど、当時の人たちには予想もつかなかったことでしょう。いまや、リアルのものよりデジタルなものが価値を持ち始めています。リアルな物よりデジタルな価値こそがクールだというアートをチームラボの猪子氏などは制作しています。以前、西麻布birthにデジタル屏風を設置しようと彼と話していたのですが、予算的な面で断念しました。先日彼と会ったとき、
      「あの時作っておけば、いまや十倍以上の価値になりましたよ」と言われ、自分の不甲斐なさに申し訳ない気持ちになりました。やれば儲かったからではなく、初期に応援できなかった自分はお金の使い方を間違えた例ですね。

      いいと思ったものは何があろうと貫くことが大事です。サプールのように、エレガントに参りましょう。

      世界一服にお金をかけるコンゴのファッション集団サプール「貧しくても最高にエレガント」な生き様とは - モデルプレス


       
      【2015.02.16 Monday 18:11】 author : oz
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      自然体であること
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        私は自然体だと見られることが多いのですが、修行が足りません。自然体というのはともすれば怠け者とも言えます。老和尚などの自然体とどこが違うのか。そうした自然について考える機会がありました。

        先日、石笛(いわぶえ)奏者の方のお話と演奏を聞く機会を頂いた時のことです。初体験の石笛はとても素晴らしい響きを感じて浄化される感じがしました。目を閉じて聞いていると、違う次元に飛べるようなイメージが沸き起こります。また、人の声の響きに共鳴し、共に声を出したくなる感覚も味わいました。人間の声にはまだまだ明かされていない秘密を感じます。地球の自転の音は人間には聞こえません。同じく他の天体も音を鳴らしています。音はつまり神に通じ、言葉は神との交信のために発展したのかもしれません。石笛は神様のための音を鳴らすものですから、魂が感じるのも当然なのですね。

        石笛・横澤和也の世界
        音の話は長くなりそうなので、この体験の中で自分なりに解釈し心に残ったものをお伝えできればと思います。あくまで私が勝手に感じたことで、横澤氏の想いとは違う可能性のほうが高いかと思います。もっともそんなものも天にお任せしているのがあの演奏だとは思いますが。

        ■適当と即興の違い

        普段の積み重ねがあってその上で臨機応変にできるのは即興。何もないままに対応するのは適当。とだけ簡単に言えないのが面白いところです。自然の会話も、経験や知恵が裏付けされていれば、どんな会話でも場になじむものになるのでしょう。ただ合わせただけでは、心に残るものとはならないのです。積み重ねしてるから大丈夫というわけでもなく、真剣に一期一会と向き合う勇気と心持ちが、自然と何か見えない覚悟を匂わし、伝わるのだと思います。自由なんだけど、何か導かれるものを感じることができるのか?自分の意志ではなく、音の意志とか場の意志とか天の意志とか、いろんな表現があるけれど、つまりは人為を超えたものを感じるかが問われるのだと思います。

        ■作為と想い

        石笛は自然のままで何も手を加えていない楽器。人間はあるがままを受け入れるより、理想に近づけたり、工夫したりして作為を加えてきました。その作為は人の想いに通じます。想いがあるから作為をして、想いを表現しようとします。作為が悪いわけではないですが、自然はコントロールできないという本質的なことを錯覚しているのが私たちです。科学が進み、コントロール出来ているように見えるけど、それは自然のほんの一部をなぞっているだけなのでしょう。

        かといって作為を放棄するのではなく、作為も楽しむことで自然体に近づくといいます。楽しみながら、そして自分に正直になることで自然になっていきます。真剣に楽しんでいる姿は自然と伝わるし、自分と向き合えば向き合うほど、周囲への意識は消えて、ただ感謝が自然と湧き出る表現になっていくように感じます。相手のためでもなく、ただその瞬間に表現できる喜び。無我の境地の片りんを感じさせていただきました。

        ■一期一会

        同じ音はなくて、再現できているようでも、湿度や時間や空気など同じ状態は再現できないのです。CDで聞いても、CDでは伝えきれない雰囲気や耳には聞こえないけど体で感じた音は再現できません。リアルな場で聞くことが一番感じられるわけですが、さっきの曲をまたやってといっても、それは再現できないのです。
        これは私もよく味について感じていたことですが、食事も脳が同じだと思っているから、同じ味に感じるけど、実は毎回違う環境で食べているのだから、同じ料理でも完全に同じにはできないわけです。実際には、毎回驚きや感動があるはずが、脳が同じだと認識するから感動もなくなっていく。本来生きているだけでこうした感覚を古来の人々は味わっていたのではないでしょうか。二度とない体験をより楽しむために、欲という思いが生まれて、作為が生まれたのかもと夢想しました。原点に戻って、あるがままを感じる意識を持ちたいと感じた演奏でした。

        横澤さんのインタビュー記事も面白いので是非どうぞ。
        Vol.03 横澤和也さん│Quest Cafe [クエストカフェ] 自分という人生を旅する。魂の物語。



         
        【2015.02.13 Friday 16:06】 author : oz
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        環境の価値
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          大半の人はキッカケを待っている。自らキッカケを作ろうと仕掛ける人は少ない。選挙が終わった。立候補した人たちの中で、どれだけの人間が本気で当選しようと時間と労力をかけて準備をしただろうか。また、投票する側も次の選挙には誰を選ぶべきかと意識していただろうか?

          出る方も選ぶ方も、その場その場で、時間が来てその時の気持ちで選んでいる。立候補を誘われたとか、今回の選挙ではこの人が好印象だなとか、深い考えや信念があるわけではない。それが悪いといっているのでもない。

          変化のキッカケを期待して待っている。宝くじが当たらないかなと待っている感じだ。変化が欲しいけど、自分の望みどおりの変化が欲しくて、人は旅行をする。気晴らしだ。自分が望む変化を誰もが希望する。

          人は環境の影響を受ける。昔から、「朱に交われば赤くなる」とか、「孟母三遷の教え」といったコトワザがあるように、付き合う人や環境の大事さは語られてきた。また、「類は友を呼ぶ」というように、似たもの同士が集まる傾向もある。

          親からの影響も強い。子は親を映す鏡。因縁は繰り返す。親の背を見て子供は育つだ。同じ檻の中にいたら、檻の外はわからない。何時の世も、親は子を自分の檻の中に入れておきたいと心配して無意識にしてしまう。

          逆境という環境を逆手に取り、人間の可能性を引き出した例もある。
          ロレンツォのオイル」という実話を元にした映画がある。子供が難病になり、親は銀行マンだったが、独学で医学を勉強し、子供のために薬を作った話だ。専門家でもないのに、専門家よりも結果を出してしまった。

          どんな人でも、一万時間練習したら天才になれるという法則がある。
          興味ある方は読んでみたらいい。「天才! 成功する人々の法則

          どのくらいの時間を毎日かけたら、一万時間達成できるか?
           2年:10000 / (2 x 365) = 13.7 時間
           5年:10000 / (5 x 365) = 5.4 時間 
          10年:10000 / (10 x 365) = 2.7 時間

          継続して、時間をかけられる、そういう環境にいることが大事なのだ。やり続けられる環境。
          どんな人と日常的にあうか?毎日会う人、職場の人、友人知人。そして家族も。

          人は環境を変えることで変わる。意図的にどこまで出来るか?

          どんな問題も、各人それぞれの問題と思いがちだ。私には特別な理由があると。経済的なことや、性格的なことを言い訳にしてしまう。人は問題を複雑にしがちだ。それぞれにあった対処が必要だと。正しいとも言えるし、間違っているとも言える。

          大半の人は、問題を、人間の個人の問題だと思ってしまうが、実は環境の問題が大きい。誰でも環境さえ用意出来れば、自然とそうなる。環境がいかに大事か。仕組みがいかに大事か。

          キッカケを待っているだけでは環境は作れない。
          環境が先か?想いが先か?

          キッカケを待つか?キッカケを作るか?
          人生は面白い仕組みで満ちている。
          【2013.07.23 Tuesday 11:55】 author : oz
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          待つのも愛
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            人々の忍耐力がなくなっている。すぐに結果を求めたり、短期的なことしか考えられないよう、時代の雰囲気により仕向けられている。企業は四半期決算を要求され、3ヶ月ごとに変化を求められる。失言したものなら、名誉挽回の機会を待つことなく、責任の追及が始まる。その結果、貴重な教訓を活かす熟成の時間がなくなり、表面的な対応と理解に終始してしまい、公共財としての知恵はたまらない。とにかく、答えはすぐにと焦らされる。

            辛坊さんの事件は、「自己責任とは」という価値観について考える良い機会であった。それをただのお金の問題にしてしまうあたりが、現代の貧しさを象徴している。助け合うことの大切さも、冒険に出る勇気も、すぐに育つ価値観ではない。学ぶ機会をみすみすドブに捨てているようだ。

            まずはじっくりと考えるが贅沢になっている。問題は放置しておくことで自然と解決してしまうこともある。が、その時間が待てずに、問題をすぐに解決しようとして焦って動いて、さらに事態を悪化させてしまうケースをよく見る。

            人には時間が必要なときもある。焦って答えを求めても、表面的な答えしか出てこない。じっくり深めるのは大変なことだ。本当にそうか?と何度も、自分の中で試行錯誤して、熟成させる余裕はない。また、熟成させるのは大変だから、簡単な答えに逃げたくなる。

            ぽんと出てきた答えに飛びつかず、じっくりと噛み砕くのは簡単ではない。現代では一日でも同じ問いに対して考えられないのではないだろうか?一日考えてみれば大抵のことは見えてくる。3日でもそれをやれば、それはたいしたものだ。なかなかそれは出来ない。答えのないことを求め続けることは苦痛だからだ。

            私が沖縄で初めて出会ったシャーマン(巫女)は、私には意味不明なことばかりを話してきた。一体あれは何の意味があったのだろう?とよくわからないままに、心の中にずっと引っかかっていた。

            数年後、あの時言われたことは、このことだったのか!と思い当たることがあった。自分の深層意識では感じていたのだろう。だから気になった。ふと何かの拍子でそのことを思い出す。ずっと数年間考え続けていた訳ではない。本当に大事なことは自分の中に残るものだ。そういうこともある。答えをすぐに出さないというのも、一つの知恵だ。

            わからない、意味不明。はい、価値がないとするのは簡単だ。自分にはまだわからないが、何かあるのかもしれない?という可能性を認めることで、理解できないことへの受け入れる力がつく。理解できない人間をすぐに、馬鹿だとか、死ねだとか、短絡的に判断する人が増えている。

            マスコミによる、操作された情報はヒントでしかない。本当にその場でどんなことがあったのかは当事者にしかわからない。発言も、一部を切り出してしまえば、本人の意図とはまるで違って見えてくる。自分が感じているのとは違う可能性があることを常に認めることが、違う存在の価値を見つけることに役立つ。

            良き導き手は、答えを与えない。相手に考えさせることをヒントとして提示するのだ。考え続けたいと思わせるような問いが、良質なヒントだ。

            IT世界にいた私は、スピード優先の世界にいた。そこから真逆の沖縄で、忍耐力を学んだ。性格からしてセッカチで結果をすぐ求めるタイプであったが、待つことを嫌でも学ばされた(笑)

            ビルゲイツに並ぶ世界の金持ちである、バフェットに、amazon創業者のベゾスが聞いた会話を最近読んだ。要約すると、
            「あなたの投資スタイルは簡単なのに、なぜみなは真似しないのか?」と。バフェットは、
            「誰もが最短で金持ちになろうとし、ゆっくり金持ちになろうとはしないからだ」と答えた。

            慌てる乞食はもらいが少ない。
            急がば回れ。

            そんなことわざがある。スピード時代だからこそ、じっくりと考えることが裏道で、結果的には早く着くのではないだろうか。すぐに判断しないのも、長い目で見るのも、愛の形なのだ。

            【2013.07.01 Monday 20:30】 author : oz
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            節目の活用
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              今日はスーパームーンの話題が出ても、沖縄の慰霊の日が話題になることは少ないだろう。沖縄は未だに戦争を引きずっている。実は日本も引きずっていて、もはや戦争など遠い過去のように感じるかもしれないが、戦争の影響は色濃くあちこちに残っている。

              それがたまにマグマのように吹き出してきて、竹島や尖閣として認識される。自衛隊という存在も、日米安保も、日本の体制は戦後のまま続いている。どこでケジメをつけるのか。時代は次のパラダイム(認識の枠組み)を用意しだしている。

              次第に次の世代のあり方を模索している人が増えてきている。今までのやり方が機能しなくなってきているので、既存のやり方から変えようとするのではなく、全く違うアプローチをとる人たちは目立たない形で増加している。

              大変化ほど早い。あっという間に変わる。そして、その変化のスピードは情報化社会が加速させている。情報が情報を呼び、情報にまみれて溺れるほどインプットされる社会だ。誰かの意図にのせられたまま消化していくと、気がつかないうちに奴隷化している。

              知識は増えても、知恵は簡単には身に付かない。

              知識と知恵の違いはなんだろうか?

              慰霊の日という情報から、どんな意識が見えてくるのか?

              日本も、個人も、多くの人の力で支えられて今がある。その時々で節目の出来事があり、その節目があるから、思い返したり、感謝の気持ちを思い出すキッカケにすることができる。今日のスーパームーンを見たくても、見られない無念の想いでなくなった方もいるかもしれない。

              今を生きる人間として、リアルにできることを意識して大事にすることの価値を前回書いた。いつも自分への戒めとして、自分へ伝えるために書いている。そして、その過程を共有することで、共に菩薩道を歩く同志としての応援でもある。

              人それぞれステージは違えど、悩みはつきない。悩み、苦しみ、葛藤を体験しながら、喜び、幸福を感じていく。今は体験できない人たちからのバトンを受け取っているのだ。既に私たちは多くのものを先人たちから受け取っている。

              今はとても素晴らしい時代だ。こんなにも学ぶに適した時代はない。過去かつて存在した王様たちよりも素晴らしい生活体験が出来る上に、学ぼうと思えば、中世の比にならないくらい簡単に学べる。隠されていた情報が開かれて、その気にさえなればある一定のレベルまでは到達できる。

              そこからが、いつの時代も難しいのだ。達人と呼ばれる境地は、いつの時代でも時間がかかる。こればかりはITが逆にアダとなる。論理の先に到達できるものではないからだ。

              体を使って、リアルにあって、話をして、感じて、体験を通してしか得られないものこそ、他の誰にもかえられない自分の価値となる。もちろん、人はそのままでユニークで意味がある。そこに安住していてはもったいない。

              美人が努力しないようなものだ。それも一つの生き方ではある。ただ、自分は一生懸命に生きるのが好きなだけだ。戦争は有無を言わさず一生懸命にさせられる。強制されるのは辛いものだ。強制されるからこそ学べることも確かにあるが、自分は遠慮したい。

              かといって、一生懸命になりたくないわけではない。自ら求めて、信念を持って生きる。そうした仲間たちと一緒に学べる今に感謝している。

              自分たちの死が無駄ではなかったと思ってもらえるよう、心の支えの一つとして今日の節目を過ごすのが私なりの知恵だ。

              こうしてBlogを書くことが、受け取ってきたものを次の誰かへのバトンとなれば幸いだ。たくさんの想いのバトンを渡し続けていく。



              【2013.06.23 Sunday 23:06】 author : oz
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              意識して生きる
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                運命と宿命。命を運ぶと書く運命と、命を宿すと書く宿命。どんな選択をしようとも既に決まっているのか?それとも選択の余地はあるのか?どのみち、人生は生きると同時に死へと続く道であることは間違いない。生死は隣り合わせ。誕生と同時に、終わりがくることは宿命づけられている。

                はじめから終わりの間、どのような人生という道を歩いていくのか。喜怒哀楽があり、悲喜こもごもに、様々な出来事から感情が刺激される。辛い感情は受け入れるのが辛いものだ。どうにかして逃げたいと思うのが人情だ。

                辛い、苦しい。そんなことは経験しない方がいいという人もいる。ひねくれてしまうとか、他人に無理強いするからとか、確かにそのような側面もあるだろう。では逆に、喜びの経験ばかりしたいのが世間の望みだが、麻薬と同じで、喜びばかりでは喜びを感じづらくなっていく。

                人生にはスパイスが必要だ。そのスパイスをより深く味わうのに、意識して生きることが活きてくる。いま、自分は何を感じているだろうか?

                考えはすぐ言えても、感じていることを表現することに慣れていないから、自分が何を感じているかもわからなくなっている。

                会いたい人に会えなかったとする。最初、寂しいとか切ないとかの感情がおこったとする。そういう感情は嫌だと思っていると、その感情を消すために思考は動き出す。しょうがないとか、今は時期ではない、相手がどうしようもない人間だとか。すると、段々感情がいつの間にやら怒りに変わったりする。

                はたまた、寂しいけど、何か意味があるに違いないと自分に返していく思考もできる。人を責めずに自分を責め続けてしまう場合もある。どちらも良い悪いではない。

                いずれにしても、感情は思考とともに揺れ動きつつ変わっていく。嫌な感情でも好きな感情でも、
                ・嫌な感情から逃げたいと考えるか、
                ・好きな感情をできるだけ長く続けたいと考えるか、
                思考を始めて、感じることより考えが優先になっていく。

                感情は、いましか感じられない。落ち着いて自分の内面との対話をすることで、感じることができる。
                「いま、悲しみや切なさを感じているなぁ。会いたいなぁ」と。感じていると、連想が起きる。幸福な感情へと連想するか、不幸な感情へと連鎖するか、それは自分の意識次第。

                鍵は自分にある。良いときも悪いときも、そこから逃げたり、より追い求めようとせずに、自分が感じていることを感じる。何でもないときでもできる。

                手を動かしているのを感じる。ゆっくりと呼吸を感じる。ゆっくり歩いて、全身の動きを感じる。感じるようにすると、意識の動きを感じる。どんな体験も無駄がない。せわしない時代だからこそ、ゆっくりと自分と対話する。たまに気がついたときにするだけで、そのときの体験がより味わえる。それが食事中なら、より味わえる。

                意識するとは集中することでもある。本当に真の喜びを味わいたいなら、悲しみや苦しみも逃げずに味わうことで、感情が引き立つ。喜怒哀楽を思い切り感じることで、魂に刻まれるものがある。

                うまくいっているときこそ、感謝できるか?
                うまくいってないときも、感謝できるか?
                自分の思い通りのときは、自分の力を過信して自己満足が優先しがちだ。
                自分の思い通りにいかないときは、相手や環境のせいにして、自分ではない他者を責めがちだ。

                そこに良い悪いはない。どんな感情も感じられるのが幸せではないか?不感症だとしたら?ロボットになってしまう。好きとか嫌とかも、表面上のさざ波のようなものだ。深い部分ではつながっていると信じている。

                想える相手がいることにそもそも感謝だ。心も、体という相棒がいるからこそ感じられる部分がある。心は感じることで育っていく。その心が感じたことを魂がもつ意識の力で頭を誘導するのだ。魂が心を使って感じようとすればするほど、頭にとっても学びが深くなる。

                自分をもっと感じられたら、他人のことも感じられる。逆もまた真なり。他人の感情を感じたら、自分の感情も感じる。つながっているのだから、自分のためも相手のためもなくなってくる。

                意識することで、その対象とつながりを感じられる。新しいゆいまーるが生まれてきている。見返りのない、相互扶助、お互い様の精神が、心と社会を豊かにする。意識して、つながりを感じて自然と広がっている。




                【2013.06.18 Tuesday 15:16】 author : oz
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                どんな現実を見たいですか?
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                   「人々は見たいと欲する現実しかみない」と7月Julyと皇帝Kaiser(カイザー)の語源となったカエサルことジュリアス・シーザーは洞察しました。冷静に物事を見極める前に、偏った視点で見てしまうのです。サングラスをしてモノゴトを見ているのと同じです。感情というグラスが入っていると特に冷静にはみれません。それを知っている者は、感情的になりやすい状況を作ることで、自分の欲する現実を創造するのです。

                  戦争など大衆は誰しも嫌なものです。だが、戦争が好きな人達もいるのです。命令する側とされる側。命令しやすい環境がなければ無理はできません。大衆は義憤に駆られたら、冷静な判断ができなくなります。911のようなことがあると感情的になるのです。尖閣諸島も竹島もしかり。報道は意図的にされていることを意識しなければ踊らされるだけです。911のあとに起こったイラク戦争は何だったか?最初に言われていた理由などすべてウソであったことが判明しても、過ぎたことだからもうどうしようもないと沈黙です。あれこそ陰謀ではないでしょうか。古くはルシタニア号事件なども未だに謎に包まれています。堂々とするからこそ陰謀に見えないのです。

                  今回のボストン事件も控えめに言って自作自演の可能性がかなり高いですが、きっと常識的な良識派を自負する方々は、そんなことあり得ないといわれるのでしょう。常識人が一番体制にとっては都合のいい人種です。あり得ないと思わされているとは思わないです(笑)どんなにおかしい情報があったとしても、それを深めることなく思考停止するのです。「陰謀論に乗せられるなよ」と冷笑しながら。そうした態度が賢く見えるのです。

                  自分の意志などなく、ほとんどが無意識に影響を受けて意志を作られていると思った方が現実に近いでしょう。私も含め、誰しもそこから逃れられないのです。環境という情報が人を作ります。だからこそ環境を作ることに価値があるのです。

                  サイコパスというアニメがあります。魔法少女まどか☆マギカの脚本を担当していた虚淵玄氏が脚本を同じく担当しているアニメです。虚淵玄氏は死にそうな体験をしたことが彼の飛躍のキッカケにもなっていますが、それはまた別の話ですね。

                  サイコパスの一部ネタバレになりますが、システムを逸脱するモノこそ、システムは欲するのです。そうした振れ幅を取り入れることで進化できる。相容れないものを受け入れる度量、器がなければ高みへとは登れません。矛盾の中に答えがあると何度も言っていることです。矛盾を受け入れなければ、小さな世界でお山の大将になるのが関の山です。中小企業の社長がハマリやすい罠ですね。半端な成功が妙な自信を持ってしまう。しかし、体制としても本当は突き抜けた人間を欲しているのです。半端な釘は打ちますが、突出するならば受け入れたいのです。

                  霊的な人にもハマりやすい罠があります。自分の感覚を過信するあまり、自分が一番神に近いと自負するのです。ユタ同士が仲良くなれない理由でもあります。宗教戦争も同じですね。自分の神こそ本物だと。半端な霊感が自分を小さくしてしまう。謙虚さを失った末路です。シザー・ハンズを見ればわかることです。

                  本当にそうかな?と自分で調べて考えて、誰が得をするのか?どんな意図があるのか?と多角的に考えることは大変疲れることです。頭脳は面倒なことが嫌いです。楽したいのです。それには常識人でいることがもっとも楽です。周囲に合わせていれば何の問題もないからです。

                  ある会社が成功したとします。たまたま時流に乗れただけなのか?時流を作ったのか?時流を知ってて利用したのか?今は同じ結果に見えたとしても、未来は変わってきます。一発屋が多い理由でもあります。

                  霊示は審神者(さにわ)が必要です。自分だけではその霊示がどんな意味を持つのか、悪霊なのか天使なのか、わからないのです。慎重に吟味しなければ、本人にそのツケが回ってきます。狂信者の末路はいつも悲劇です。

                  利用するもの。利用されるもの。利用されると知ってても、更にそれを利用するもの。あえて利用させてシステムの一部にしてしまうもの。下には下がいるように、上には上がいるものです。地球に生まれている以上、どんな人間も修行しているようなものです。道途中であることにはかわりはないのです。道を歩く同志、励ましたり喧嘩したり、様々なドラマを演じながら歩いているのです。

                  目の前の役割を真剣に演じることで、次の映画が決まるのです。悲劇のヒロインになるのか、英雄物語になるのか、ベニスの商人になるのか、すべては自分次第です。人はみな、楽して楽しく生きたいと願っています。そんな簡単ではないから面白いし、表面的な楽しさだけを追求するならば輩になるだけです。

                  かといって輩が悪いわけではありません。色んな役があるからこそ、映画も舞台も盛り上がるのです。善人だけの映画なんてつまらないだけです。悪役がいるから盛り上がるのです。そして悪役のほうが魅力的なものです。

                  イヤも嫌も好きのうちなのです(笑)


                  【2013.04.25 Thursday 13:11】 author : oz
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                  柱(はしら)
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                     素直さの話を前回書いた。素直を自分の都合の良いように捉えると、それは素直ではなく、単なるワガママとなる。悩み、苦しみ、本当にそうだろうか?と試行錯誤した上での判断は価値がある。どんな形になろうとも、そこから学ぶことは多い。

                    頭脳派の人間は、悩みすぎて逆に決断ができなくなる場合がある。直感派は、エゴからくる直感なのか、魂からくる直感なのかを慎重に見極めなければ、単なる気分屋にしか見えない。霊的な信号は、どのように捉えるべきか難しい。同じ信号でも、受け取る人間によって、全く正反対のことを告げているように見える。

                    視点の違いでそのようになるのだが、表から見るか、裏から見るか、横から見るか、上から見るか、下から見るか、で変わってくる。だからこそ、柱が必要となる。一つの基準がなければ判断がつかないのだ。それが、原点だ。原点を大事にすることで柱ができる。

                    人間関係においてはどんな答えも、その時は正しくても、いつもそれが正しいとも限らない。同じ時はない。同じ答えもないのだ。常に一期一会で、金輪際で、二度はない。だからこそ、その時というのが二度とないかけがえのないものとして大事になる。その時を大事にしないから、次があると思うのだ。

                    真剣であればあるほど、やるかやらないか、言うか言わないか、などの選択の判断は難しくなってくる。真剣だからこそ、二度とない時を大切にするからこそ、時と場所を選ぶのだ。常に矛盾する選択肢も同時に無ければ判断できない。

                    関わるというのは責任が伴うのだ。簡単に責任は負えるものではない。覚悟と器が問われる。人間力がなければ背負うことはできない。だから柱がある人間にしか責任は取れないのだ。言うは易し行うは難しである。

                    選択する前から選択後の保証を先に求めていたら、その時を生きることはできない。落とし所を探っていたら、真剣にはなれない。ただ普通に生きるだけなら、ここで書いていることはかえって有害だ。変人かもしくは馬鹿扱いされるだろう。世間の常識と反しているからだ。

                    普通の世界では、例えば給料は決まってから働くものとなる。だが、革命的なことはそんな考えでは限界が来る。自分がやりたくてコミットするのが先で、その後に何がついてくるかはわからない世界に賭けるからこそ、周囲も感動するのだ。見えない選択をするには、柱と信じる心が必要になる。

                    ほとんどの人間は都合のいい所取りをしたいのだ。しかしそれは無理なのだ。真剣になれない人間に本当の喜びは得られないし、チャンスもない。一生懸命だからこそ、諦めないからこそ、神は微笑むのだ。信じられない人間には信じた人間だけが見える世界は見えないのだ。

                    リスクがなければリターンもない。
                    あなたには、「白うさぎ」が見えているか?
                    【2013.04.08 Monday 14:46】 author : oz
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                    素直に子供のように
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                       歳を重ねるごとに、経験も因縁も積み重なり、モノゴトに対して素直に受け取れなくなってくる。「そうはいっても、何々だ」と文句の一つを無意識につけてしまう。エゴがジャマをすることで、モノゴトの本質を感じづらくさせてしまう。

                      勿体無いことだ。過去がどうあれ、本当に素晴らしいモノは素晴らしい。それは意見だろうと提案だろうと、そのことだけを切り離して理性で捉えられているだろうか?誰が言ったからということに左右されてしまうのが現実だ。

                      人間は露骨だ。認めている人間に言われたら納得するが、認めていない人間に言われたら、
                      「お前に言われたくない」となる。その露骨さを認めた上で、モノゴトの価値を見極めようと謙虚に素直に考えてみる。

                      因縁関係であれば、余計に素直にはなれない。だからこそ、素直に分かり合えたときは誰よりも喜びを共感できるのだ。伝わりにくいからこそ、伝わった時の喜びは計り知れない。どんなモノを手に入れるよりも、自分が何かを成し遂げた時よりも、想いが伝わった時の喜び共感、幸福感は代えがたいものが有る。

                      因縁関係は本当に学びが大きい。因縁に対して素直になることが一番難しい。他人だったら冷静に捉えられるのだが、因縁だからこそ逆に捉えてしまう。良い提案も悪く感じるし、悪いほうがよく見えたりする。だからこそ、人は因縁で道を間違えるし、また逆に因縁で救われるのだ。

                      時代の潮目を感じる。ただ素直になるだけで道は開ける。今までやってきたからとか、捨てられない自分の小さなプライドなんか投げ捨てて、素直に光を求めたらいい。ゼロベースで今こそ、仕事も環境も何もかも考えてみたらいい時期だ。

                      311のように、否応なくゼロベースにされることもある。無理やりされるよりも、自発的に向かったほうが話は早い。今までの延長線で生きるのは楽だ。しかしドンドンと行き詰まる。北朝鮮のように、行き詰まって突っ走るしかないのは、本人も周囲も辛いことだ。

                      まずは意識からしか変わらない。意識が変われば、すべて変わる。自分一人素直になるだけで、波及効果は計り知れない。悔しいとか、ムカつくとか、認めたくないとか、様々な感情が理性を曇らせる。

                      素直にモノゴトを観るには、理性を働かせるには、感情は感謝の気持ちであればいい。感謝していれば、素直に受け取れる。自分が濁っていたら、他人も濁って見える。自分が感謝で澄み切っていれば、モノゴトの価値を見抜ける。

                      そもそもの原点を振り返り、今までの経緯を確認し、今があるのもそうしたことのお陰だと感謝できれば、モノゴトは自然にうまく回り出す。焦って、自我で何とかしようとすればするほど、悪循環になる。

                      素直にイイものはいい。本質を見抜ける目こそ、先がわからない時代に唯一確かな指針となる。

                      流行や現状に流されるのではなく、本質を掴んでいれば、必ず機会は訪れる。その時に、勇気を出して飛び込むのだ。人生は冒険。燃えて生きなければ面白くない!

                      【2013.03.31 Sunday 13:06】 author : oz
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