旧 日々、菩薩の道
 
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本当の投資とは
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     ギリシャからイタリア、そしてスペインへと次々に欧州各国の財政不安が飛び火し、終わりが見えない。ユーロはどうなるか?ドルはどうなるか?円はどうなるか?いつか日本にもその波はやってくる。数年後かもしれないし、数日後かもしれない。激動の2011年はまだ終わっていない。

    資産を持っている人間ほど、一体どこにお金を置いておけばいいのかと不安でいっぱいだ。小金なら宝石や金などで事足りるだろうが、数億超えてきたらそうもいかない。不動産も地震が起きてしまえば一気に価値を失う。資産を集中させても危険、分散させても危険。じゃあどうしたらいいのか?真面目に考えれば考えるほど答えはない。

    仲間が面白いことをいっていた。

    「世間は、証券会社などの金融機関の商品(ファンド、株など)に出して失敗したら、しょうがないと自分も周囲も納得する。しかし、人間に対して投資したり、自分の知人友人、関係や縁があるような会社や土地などに投資したら、失敗も成功も関係なく否定的に見る。怪しいとか、えこひいきだとか、投資した人の責任を追求し出す。じゃあリーマンショックは?エンロンは?ギリシャ国債は?怪しくなかったのか?大きければ大きいほど怪しいとは思わなくなる。まして、投資した人自身も、ファンドや株などの投資失敗はすぐに納得し諦めるくせに、縁がある人や会社、土地などの失敗だと、途端に鬼の首を取ったかのようになることもある。本来社会のためになってるのはどちらだろうか?」

    個人の色がついたお金が、金融機関の商品の色になることで、利益だけが判断基準のお金になる。利益を求めて世界を回り、利益のためには、人の生活などを考えている余裕などない。要するに儲かるのだったら何でもいいということだ。個々人の欲求を追求すると、世界は良くなるはずが、追求すればするほど世界はいびつになっている。

    目の前のご縁がある人や場所のほうが、絆や信頼となるものではないか?そこに本来失敗はない。長期的に見た投資ほど価値を生むのだ。短期的な利益を追求する投資は、目先よく見えるかもしれないが、結局はババ抜きをしているに過ぎない。今までは、自分の人生の間はババ(ツケ)を避けられたが、スピードが早くなり、自分の元へとババ(ツケ)が早く帰ってくるようになった。

    大衆は、金融機関を通すと投資をしても当たり前のような顔をするが、自分の縁を通して投資しようとすると不安な顔になる。金融機関はきちんとしているから大丈夫だと考えてしまう。金融機関ほど、人件費などのコストがかかっているのだし、損をさせても、友人でもないから心が痛まない。自分の友人知人より赤の他人を信じるのだ。

    個人が資産を投資する、もしくは資産を守ろうとするとき、全くの赤の他人の金融機関などを頼るか、もしくは因縁の関係に頼るのが大衆だ。特に資産を守ろうとするとき、配偶者だったり子供に資産を渡すのが当然で、それ以外の選択肢は心にない。因縁を超えられないのが大半だ。別にソレが悪いと言っているのではない。皆そうだから、常識だからと疑うこともない。因縁には想い入れがあるから尚更だ。他人を信じて騙されるリスクは常にある。子供に渡しても、誰かに騙されるかもしれないのは同じ事だ。であるならば、信頼できる人間たちを残してあげることのほうが価値があるのではないか?お金で幸せは買えないのだから。

    魚(お金)を残すより、愛のある漁師(愛と知恵の持ち主)たちを残すほうが、本当の投資ではないだろうか?赤の他人だろうが、自分の子供のように感じて、その子の幸せのために労力を惜しまない人間を残すほうが価値がある。お金を直接残すより、お金で人とつながり、絆と信用を作ることが将来のために本当に大事なことだ。金は消えても、絆は消えない。

    他人なのに信じて託されたとしたらどう思うだろうか?ラッキーと思って自分のために使ってしまうような人間もいるだろう。そうした人間しか自分の周囲にいないのであれば、自分もそうした人間とたいして変わらないということだ。自分の周囲に契約書もなしに大金を託せる人間がいるだろうか?

    本物の人間は託されたがらない。責任を感じるからだ。しかし、それでも相手のためを思って責任を背負う人間が本当に信頼できる。この見極めは簡単ではない。テクニックとして、一度断るといった手法を使う輩(やから)がいるからだ。

    自分や家族のことを愛を持って見守り、自分たちの進化を手助けしてくれる存在との絆をつくるためにする投資こそ、本当に価値ある投資だ。その為には人に投資しなければ始まらない。そして、人ほどリターンの大きい投資はないのだ。信じて投資した人間が、坂本龍馬だったとしたら?ブッタやキリストだったら?彼らほどではないにしても、それなりの影響力を持つ人間になったとしたら、その周囲で体験できる価値は?自分も影響されて、自分こそが坂本龍馬になるかもしれないのだ。

    自分が投資した人間が、ベンチャーを起こして成功したとする。彼に投資したのか?彼の作った会社に投資したのか?形はどうでもいい。人に投資するとは一時のことではない。一生の付き合いなのだ。その絆を作るための投資と考えなければ、一時の成功や失敗で判断する愚かなことをしてしまう。

    人は原点を忘れやすいものだ。最初は人を信じたとしても、それを忘れて形式的なことに目を奪われる。人への投資は、成功も失敗もない。一生向き合い続けていく覚悟こそが投資なのだ。お金だけの投資では表面的だ。真の投資は、心の投資だ。どれだけ相手を想って、愛と知恵を与え続けられるか?それが価値ある投資だ。


    自分の概念を超えた、信頼できる相手、仲間がいることの価値。そうした価値を作ることこそ本当の投資で、そのためにこそ資産も心もある。だから、本当の投資はお金がなくても出来るのだ。

    目の前の相手に、愛と知恵を与え続けること。お金を出すのは勇気がいるが、一瞬のことだ。愛と知恵を与え続けることのほうが難しい。知恵がなかったとしても、愛は誰でも与えられる。

    ただ与えているだけでは良い人として利用されてしまう。絆や信頼の作り方は教科書では教わらない。だから知恵なのだ。それがなければ、どんなに人に投資しようとしても、空回りになり、結局は人を信じられないとお金を信じるようになる。

    愛と知恵を持つ人間を求めることが第一歩だ。ビジネスが上手な人間など腐るほどいる。本当に価値あるものとは何か?を知る人を求めることから、本当の投資は始まる。





    【2011.11.18 Friday 11:42】 author : oz
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    この記事に関するコメント
    大変失礼なお願いではございますが、メールさせて頂きたくご連絡頂く事は可能でしょうか。私のせいで申し訳ございません。確認できたらコメント破棄していただけましたら幸いでございます。
    | k | 2011/11/19 7:58 PM |
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