旧 日々、菩薩の道
 
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千と千尋の神隠しの密教2
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    千と千尋の映画には、さまざまな信号が隠されている。普通に解釈するだけでも面白いが、世界の真理の構造が描かれている部分は、文章では説明するのが難しい。歌舞伎で、歌舞伎特有のお約束事がわからなければ、本当の楽しみがわからないのと似ている。前提条件の知識がなければ、話を出来ないこともある。

    映画の中は常識を超えている。ファンタジーだから当たり前といえば当たり前だが、ただデタラメで根拠がないというわけではない。例えば、四季折々の花が同時に咲いていたり、月の満ち欠けと日数が合わなかったりするのも根拠と意味があるのだ。あの世とこの世。湯屋という遊郭の存在意義と象徴。

    かつて、性と聖なるものは同一であった。生命は性によって創造されるゆえに聖であった。性が隠されると共に、聖も隠れてしまう。昔、出産は命がけだった。生と死はいつも隣り合わせで身近にあった。性はいまや本来の意味から離れ、別の役割を与えられている。千が初夜にお腹が痛くなった意味とも通じる。なぜ痛くなったのか?

    映画の冒頭で、一家が乗った車は急ブレーキを踏み、ギリギリ車の性能のお蔭で事故を避けることが出来たように見える。父はイケイケで流行の車を所有し、仕事ができてそれなりに成功している。この世の父は、あの世では神様のお供え物を食べて豚になる。罪を犯した人でさえも、豚というお供え物になり無駄がない。活かされリサイクルされる。ここに経済の仕組みが隠されている。わかるだろうか?ちなみにあの世での父の役割は釜じいが担当している。釜じいも蜘蛛の糸や何本もの手足を駆使して仕事は出来るタイプだ。蜘蛛の糸の意味も深い。さらに燃やしたススから、ススワタリをリサイクルしている。長くなるから次に行く。

    美人だが冷たい感じの母は、父よりも先にお供え物を頂いている。聖書では、知恵の実を女性が先に食べて、男を堕落へと誘ったとされている。釜じいがあの世での父親役だとすると、あの世での母親役は誰かわかるだろうか?父と母、釜じいと母親役の人。感じるものがあるだろうか?この構造も説明は難しいが、もう少しわかりやすい千尋の構造から説明しよう。

    「千」と「千尋」。同一人物だけど二つの名前。一つのものを二つに分離。そう、これは不二の思想だ。千と千尋は別人だといっていい。千は千尋という名を取り戻し、日常へと帰還した途端に、千のときの記憶もなくしてしまった。あの世での記憶が残らないように。しかし、銭婆が言ったように、
    「一度あった事は忘れないものさ、思い出せないだけで」である。思い出せないとしても深層意識に影響している。無意識の影響は分り辛いから認識はされにくいが、性格と因縁に影響を与えるのだ。

    湯婆婆と銭婆も同じ不二の関係だ。
    「あたしたち二人で一人前なのに」という台詞でわかりやすい上に、顔まで同じ。そして彼女たちの顔はとても特徴的なわし鼻の要素がある。そこから連想すれば、誰が支配者かよく分かる。この二人の関係もとても対照的だが、なぜ力は銭婆の方が上なのだろうか?なぜ銭婆の方が一つ婆が抜けているのか?なぜ湯婆婆には抑えられなかったカオナシが銭婆の手伝いをするのか?

    ハクとカオナシの関係もよく考えたら面白いことがわかる。同時に存在するようで、最初の橋と最後の場面をのぞいて直接会う事はない。どちらの時もハクはカオナシに対して意識がない。色もハク(白)と黒(カオナシ)。ニガダンゴを食べたのも、この二人。ニガダンゴとは何の象徴だろうか?

    一体カオナシとはなんだろうか?錬金術をも使える力を持ち、際限なく膨らむ事も出来、本当の姿や声は仮面で隠されている。責任も取らず、取り方もわからない。話す言葉は他人の言葉。そういう存在も世界にはいて、持ち場がキチンとある。銭婆の下で働けば力があるだけに大きな仕事をする。湯婆婆のところでは下品であったカオナシも、銭婆のところではお行儀良くなっている。カオナシは見えない存在。表には出てこない官僚のような存在である。

    余談だが、トトロのさつきとメイも同じ不二だ。同じ五月という意味であるし、自分が自分を捜す構造になっている。風の谷のナウシカの、ナウシカNAUSICAAとクシャナCUSIANAAはアナグラムになっている。ポニョのお父さんのフジモトも、元は不二と連想させる名前だ。

    話しを戻そう。千尋はとても長いとか深いとかの意味がある。潜在してる本来の存在は深いのだ。表面意識と深層意識の関係を連想してみてほしい。そして深いと言えば、名を取られるとき、荻野千尋の荻の字が普通とは違っている。火が犬になっているのだが、この意味がわかるだろうか?よく深めてほしい。主人公の名字である。大事な意味がある。

    さて深い意味を持つ「千尋」から名を奪われた「千」は、一〇〇〇。ただの番号で数えられる数字である。数えられるのだから限界がある。ちなみに留置所では番号で呼ばれる。番号で呼ばれるのは辛いものだ。千というのは、ただのモノ扱いと同じである。奴隷状態の暗示なのだ。ちなみに、千三つ(せんみつ)という言葉を知っているだろうか?3という数字もあちこちで信号としてでてくる。例えば、カオナシが飲み込んだ人数は3人、千尋が滞在した日にちは3日、カシラの数といった具合に。数字の意味は深い信号だ。数字といえば、銭婆の住んでいる沼の底は何駅目だったか覚えているだろうか?また途中の駅にいた一人の影の少女は一体誰か?

    沼の底に住み一見地味な銭婆、油屋の最上階に住み、一見派手な湯婆婆。これは逆転の構図になっている。虚と実。世界は見たままの世界ではない。油屋の最上階にある坊の部屋。昼も夜も一瞬でかえられる。世界の切り替えが部屋にこもって出来てしまう。そこに籠りきりの坊。まるで引きこもったまま世界に影響を与える北朝鮮のようだ。湯婆婆のスイッチ一つで世界が変わる。この坊の顔、誰かに似ていないだろうか?

    油屋は大衆の世界そのものだ。いまや八百万の神でさえ通う場所になった。まさにお客様は神様で、マイナーな神様ばかりだ。その世界にお腐れ様という異端者がやってきた。実は彼は油屋の世界を破壊しにきたのだ。しかしその破壊者タタリガミも千によって鎮められてしまった。千がいなければ鎮められなかった。鎮めたことは良かったのか?悪かったのか?

    湯を大量に沸かすには自然破壊が伴う。もののけ姫のタタラ場と同じだ。破壊者が来るこのタイミングで千が来たのは偶然か?必然か?破壊者腐れ神は、薬湯という力を受けて無害な老人の仮面に変えられてしまった。破壊者本人さえも本来の目的を忘れて「良きかな」と思わされた。敵のが上手であった。一番の奴隷は、自らが奴隷だと気が付かない状態であることだ。もはや他に世界を浄化するところはないかのようだ。

    油屋の手先になった千の手伝い、導く役をしていたリンとは何か?他のナメクジ女たちとは違う。リンは美人で男っぽい。親切のようだがリスクは負いたくない。イモリの黒焼きのような餌があれば頑張る。油屋を出たがっているが、本気で出る気はない。金に目がなく、リスクがなければ威勢は良い。そつなく仕事をこなせて、他の人たちとは少し違う。そう白狐だ。狐がいるから舞台は進行する。油屋のメンバーが皆嫌がったトリックスター千の案内役だ。ちなみに、油屋はカエル男、ナメクジ女、ハク龍(蛇)の三権分立で成り立っている。そして超越者として湯婆婆がいる構造だ。リンも千尋の母も狐によく似ていると思わないだろうか?

    油屋の最高権力者である湯婆婆が見抜けなかったカオナシの金と、お腐れ様が残した砂金との違いはなんだろうか?湯婆婆は自分の子供も見抜けなかったが、千尋は両親を見抜いた。見る目があったのはどちらか一目瞭然である。力があるのと本質を見抜く力は違うのだ。見抜く力だけでも現実では通用しない。千はリスクだらけだが、湯婆婆には千や両親を失ったとしても何のリスクもない。かえって、千のお蔭で危機が回避でき儲かったようなものだ。良い悪いはないのだ。

    千尋は、千と名前を与えられて(これにも意味がある。名付け親、因縁づけ)湯婆婆と契約する。表面的に言えば、会社に入って肩書きを貰っているのと同じだ。そして、その会社のルールに縛られる。やがて本当の自分を忘れてしまう。千尋の尋は、尋ねるという意味もある。奴隷には尋ねる事は許されない。疑問をもつ奴隷は良い奴隷ではない。疑問をもたないうちに、自分の感情にも奴隷になっていく。表面的な喜怒哀楽の奴隷だったり、他者に完全依存したりする。なぜ「贅沢な名だね」と湯婆婆はいったのか?なぜ「良い名だね」と銭婆はいったのか?その他にも、トンネルの中での両親の会話、トンネルの最初と出口の壁、町にあった店の「め」の看板の事など、あげたら切りがないくらい意味があるものばかりだ。

    自分でどんどん解釈して世界を作り上げてみたらよい。宮崎駿氏が引退を投げ打って作り上げた作品だ。自らの錬金術を駆使し、紙から神を作り出し、人々を祭りへと誘導している。その祭りの祭神は何かを知らずに、人々はお賽銭を投げ続け、心にイメージを受け入れていく。陰極まれば陽となる。トコトンまで祭りもいけば、いつかは銭婆に輪を返せる日がくるだろう。良い悪いではなく、人生を生き切る為に、冒険をし続ける。冒険の死の恐怖でさえも怖くはないとボニョでは言いたかったのだろう。新しい世界を創る為には、原点と経緯、そして現実がわからなければ話しにならない。その為にこそ、この映画はあるのだ。

    【2012.07.07 Saturday 12:16】 author : oz
    | 映画 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
    この記事に関するコメント
    はじめまして。こちらの解釈感想、大変面白く読ませて頂きました。

    千と千尋の神隠しはジブリの中でも一番好きな映画でして、よく色々な人の解釈を探して回っては楽しんでおりました。その中でも、このウェブログの解釈は新鮮に感じられました。

    以前は民俗学や神話の概念やルールを探したり、アイテムのシンボルの意味をはかったり、社会の揶揄するような表現を見つけては楽しんでいましたが、"対比"を軸に観察したような感想は初めて見たので新鮮に感じられました。

    また千と千尋の神隠しは意識の変化や要素・意味の変化によって人物の見た目が細かに、顕著に変わるのが好きでした。しかしここまで観察されているという点に感嘆でした。次に見るときは、そんなところにも気をつけて視聴したいと思ったりしたのです。

    だいぶ個人的な、拙い話を箇条書きのように載せてしまいすみません。上手くまとまりませんで。
    ですが新しい視点を提供して頂けたことへ勝手ながらお礼を申し上げたくこのようにコメントを残した次第なのでした。

    もし、この解釈や発見の続きを書かれることを密かにお待ちしても宜しいでしょうか、とも追記したい気持ちです。
    | gado | 2013/03/14 4:50 AM |
    10年という月日で何回も観てしまう映画です。
    まずはカオナシ。黒く、普段薄く透き通っている影のような存在ですが、誰の中にでも存在する影の象徴と、これは宮崎監督が言っていました。他の人の声を使って自分の声にしてしまう。自分のアイデンティティーを失い、変な権力の使い方をし、金銭的に他人の欲を満たす事によって自分のアイデンティティーを社会に確率させる(人を食べる時、砂金を振りまいてる時にはカオナシは透き通っていない)。そんな事をしているうちにどんどん醜くなっていく姿が映されたものだと思います。
    ニガダンゴの象徴。日本人には解りにくいが、これは正に信念の象徴。お見えの通り、ただのドロの固まり。昔溺れた時に助けてもらった事の潜在意識が、手に残ったドロの固まりがこれからの自分も助けてくれると解っていたのだろうと思います。信じるという力。だから興味本位で千尋がかじった時にはおいしくなかったのです。ハクやカオナシなど、悪を取り除かなければいけない時にはすごい力を発揮します。親の助け方は解っていたんでしょうね。
    神隠し、英語ではspirited awayというタイトルになってますが、信じて悟る事の救いを表した作品だと思います。一人一人が考える事、思う事で世界が変わるという事、それがそのまんま作品に反映されている所(解釈通りで色々な話になってしまう)なんかはこの世に2度と見られない天才の証なんではないかと思います。
    | Miss Sound | 2012/11/05 8:47 PM |
    この手の話をさせればあなたの右に出る者はいないと勝手に楽しんでいます。『Sin eater』 の解釈はあの時のぼくの深みに触れた思い出があります。

    今回の解釈はぼくはカオナシ、よくてお腐れ様ということです。

    どこに行ってもついぞカオナシなのでしょう。私は無色透明です。どこにでもいて誰にでもなれる。
    知恵ばかりで醜く太った怪物です。

    お腐れ様なら千はいませんでした。富より心を取ったいうことです。
    その千もゲームの最後には現実に退場させられます。
    何かに似ていると思いませんか。

    おそばでお使えすることができなくて残念です。
    まだしばらくお暇をいただきます。
    気が熟せば会いましょう。
    会えるならお互い生きている内がいい。

    要点もなく長々と失礼致しました。

    謝々

    p.s.
    電車を乗り過ごさないようお気をつけください。

                          KIRA
    | KIRA | 2012/07/16 7:04 PM |
    深いですね。。軽く見ていた映画でした。
    | 人の欲@吉田 | 2012/07/10 11:07 PM |
    尾関さん、こんばんは!千と千尋ってこんなに難しい意味があったんですね(>_<)

    わたしは、こんなこと考えたことも有りませんでした(汗)
    ただ狐と蛇は、星の王子様でもみたなぁ、と思いましたぁ

    重要なキーワードなんですね?!
    | さとみ★ | 2012/07/10 7:07 PM |
    やっぱり素敵な方ですね、ありがとうございます。
    | ひぃしぃ | 2012/07/08 1:28 AM |
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