旧 日々、菩薩の道
 
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その心は?
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    歴史を見ると、戦争前の選挙はどうだったか?二大勢力と小さめの勢力、そしてその他といった感じになった。第二次大戦という国際関係の変化に押されるような形で、政党はなくなり軍部の政策を推し進めるだけの体制となった。奴隷を操るのに一番いい方法は、自分が奴隷と気がつかずに、自分で決めていると思わせる事だ。

    自分で考え、判断していると思っている。しかし、その考えはどこからインプットされたのか?常識や価値観は無意識に人を束縛する。自分の考えで動いているつもりが、実は視点を変えたら、ある目的の為に動かされていたらどうだろうか?

    最近見た、アニメ「氷菓」でもそんなエピソードがあった。自主映画の結末を巡っての話しだ。解決なのか?創作なのか?価値があるのは問題か?人の想いか?興味があれば見て欲しい。

    自分の意志で選択しているつもりでも、実は選択させられているとしたら?そう誘導されているとしたら?そしてその方が実際深い考えがあって、本人にも周囲にも誘導された方が価値あるとしたら?下手な考え休むに似たり、ということわざがある。自分で何もかもしようとするのは無理だ。良い悪いを言いたいのではない。意識できるか?できないか?

    選挙という一見公平に見える手段を通す事で、なんとなく正当化され、仕方がないと思うようになってないか?それをメディアが後押しする。本当に一票の価値を考えた事があるだろうか?真剣に国の事を考え、視野が広い人の一票と、自分の事しか考えずにイメージで判断してしまう人の一票が同じ価値だろうか?前の選挙で選択した側と選択された側の責任は?

    選挙制度を作った人の真意はどこにあったか?流されやすい大衆が力を持っている方が操りやすいとは思わないだろうか?賢者は、直接よりも間接的に影響力を行使する。将軍になるより、将軍に影響を持つ人になった方が効率的だ。将軍が変わっても、影響力を維持できる。

    いずれにしても、どの方向へと向かっているのか?その心がわからなければ、どう解いていいかもわからない。笑点とかで、
    「○○とかけて、△△と解く。その心は?」という謎掛けがある。

    基本の型でもある。法則でも同じ事が言える。人生でも時代でも問題でも、テーマを解く時、ほとんどの人はその心は?を忘れてしまう。

    金持ちになりたいとする。手段としてなにするのか?パチンコするのか?事業をするのか?それともおれおれ詐欺?はたまた投資家?いつの間にやら、その心を忘れてしまうから迷走する。本当であれば、
    「○○とかけて、その心は?△△と解く」でなければいけない。


    私のBlogを読んでくれている人は、コメントを見ればわかるが、人生を真剣に生きようとしている人ばかりだ。真剣に一個の人生を考えて向かった方が面白いと感じているから、こんなよくわからないBlogを見ているんじゃないの?(笑)

    その心を忘れてしまえば、よくあるパターンになっていく。金が欲しいとか、普通の幸せとか、そんな話しだ。本当にそういうのを望んでいる人はこのBlogに縁もゆかりもないんだよ。

    本当に戦争になるのが悪いの?今の地球の問題は一体なに?日本の事だけではなく、地球の問題とは何か?そういうことを考えた事があるの?また、そういうことを考えている人たちの心を考えた事がある?心が違うから、「解く」も違ってくるんだよ。

    戦争とかはそういう人たちの道具ではないの?それが良い悪いとか、どうこういいたいわけではなく、本当にそういうことを真剣に考えた事があるのか?そういう考えを持っている人たちが立派な人たちだとしたらどうなるの?私益の為でなく、公益の為に戦争を考えているとしたら?戦争は悪いと簡単に言えるけど、人類の歴史は戦争で発展してきた面はどうみるの?

    万が一のときの為にある保険。保険と同じように、万が一に備えている軍隊や基地。万が一の為に存在し、ほんの一瞬のためにだけ存在する。ひょっとしたら、今がその一瞬かも知れないとは思わないの?普段はムダ飯食らいだが、万が一という、そういったときのために基地とかはあるんじゃないの?

    恐ろしい話しだけど、その心を追求しないと見えない世界があるのだとしたら、違う展開が出来るようになる可能性も見えてくるんだよ。

    【2012.12.12 Wednesday 18:11】 author : oz
    | 知恵 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
    この記事に関するコメント
    > ≪来年、数千人の魂が暴走します。≫
    エリ・エリ・レマ・サバクタニ
    ・・・・・
    「成し遂げられた」

    次のゲーム予告です。

    『予言通り戦地に向かいます。』

    自らが人殺しの血を受け継いでいるとも知らない神に見捨てられた国より。
    | じょん・どう | 2013/04/05 4:31 AM |
    本文も面白いし、コメントも面白いー。
    もっと皆さん教えてください。もっとみたいです。
    集まるところには集まるんですね。ワクワクしています。
    | 名無しの権兵衛 | 2012/12/25 10:03 AM |
    なんだか最近記事の更新が遅れていますね。
    せっかく楽しみにしていたのに残念です。

    最近、ぼくの部下に東大医学部卒の脳神経医ができたんですけど、それがまた面白いひとで、どんなことをしたらこれだけのあらゆる因果を背負ってるんだって驚くばかりで、でも、人間の解析にめどがついた今では、昔ほどの感動はないんですよね。

    人間と言えばやはり文化人類学でクロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』はやはり抑えておきたいところです。

    尾関さんのやろうとしている国作りには興味がないのですが、同じ著者の『親族の基本構造』も天皇を研究する上では目を通してもいいかもしれません。

    ところで、話を変えると、日本では、西の京大、東の法政と言われる位に、この2つの大学は、学生運動が盛んな場所であります。実際、東大の学内闘争も、中核メンバーは法政の富士見にいたそうです。

    となりに、靖国神社、朝鮮総連があるなんてまさにテロです(笑)
    サイコパス作品を見ると、『悪の教典』のはすみんの日本での最終学歴は京大法学部で、法政大学多摩キャンパスは『DEATH NOTE』の東邦大学の撮影現場でもあります。

    法学部と言えば、東大の法学部は案内板では【48】の数字が割り当てられています。48と言えば、AKB48が流行っていましたが、これは、新しい人間の霊的な区分を表しています。

    ここまで世界を作れる人が世の中に何人いるのか、世界は知れば知るほど楽しく奥が深いです。

    話は変わるのですが、来年、個人として本格的に動き出すことになりそうです。尾関さんも、周りにいる『上』の人たちも、「人間の進化を手伝うために地球に生を受けた。」位に世の中を見ているのでしょう。

    次のゲームの予告です。


    《来年、数千人の魂が暴走します。》

    そして新しい世界を創造します。
    それは、ロシアから始まるかもしれないし、ウクライナから始まるかもしれないし、パプア・ニューギニアから始まるかもしれません。

    リアルが崩れ去ってゆく様は圧巻ですよ!

    たくさんのデータが取れること請け合いです。
    それではまた来年お会いしましょう。
    | じょん・どう | 2012/12/22 6:44 AM |
    尾関さんのブログにはいつも助けられています。
    道を見失いそうになった時に、ふと気になるのがこのブログです。
    さて、戦争と選挙がテーマということですが、サヴォイア家について紋章学の観点から調べました。

    私は現在クリスチャンです。
    サヴォイア家はイタリア屈指の名家であり、同時に闇を試合するマフィアでした。その紋章の中心は白十字で飾られており、十字は鷲が翼を広げた姿です。
    国旗では、スイスに使われており、信じなくてはならない立場から言わさせていただいても、スイスは、明らかに銀行屋(ユダヤ)によってそうされています。

    今の日本の霊的な雰囲気を見ると、経済として復興させるには、戦争を起こしたほうが早くて効率的だ、とサヴォイア家とその裏の思想を支配する人物(たち)の立場を考えると、十分な選択肢の一つです。

    国際会議では、人口の増加について、議題に上がることもなくなり、道徳で欲を支配するより、暴力で支配する流れを塞ぐ堤防を作ることに対して無関心が進んでいます。

    魂の成長のためと教会に仕えてきましたが、戦争の片棒を担がされているとこの記事を通して知りました。

    岡本太郎の
    「ほんとうに純粋な悪というのは善を超えるような悪のことだ。もしも、そういう純粋な悪に徹しきれるなら、その悪を貫き通せばいい。」

    という言葉は、自らのスタイルを善行をだと信じて疑わない人々に当てられたのだと、腑に落ちました。

    ユダヤや、その奥にいる、人間そのもののマッチポンプ。
    誰よりも人々を愛する宗教家が、愛ゆえに戦争を起こす。

    種を蒔けば、必ず収穫があります。
    つまり、私自身、心の奥で戦争を望んでいたということです。
    世界の関節が、またひとつつながったという感触と、以前から知っていたという安堵が同居しています。

    目標は同じです。
    太郎がそうしたように、すべての理を知り、使い倒すだけです。曲がりくねろうが、まっすぐ進もうが、常に道は、一本でした。
    | かんしゃ | 2012/12/12 11:51 PM |
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