旧 日々、菩薩の道
 
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正しさの罪
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     沖縄に来てからというもの、数百人の人たちを沖縄案内してきた。いわゆる観光地よりは、御嶽(ウタキ)という聖地や、自然、基地といった、観光ガイドにのっていないような場所を選んで連れて行っていた。

    沖縄に関わった当初は、沖縄が日本の中の南北問題のようであり、差別問題でもあると強く感じ、戦争も含めて、多大な犠牲を払った、沖縄を何とかしたいという想いから関わるようになった。良く言えば純粋な想い。悪く言えば、世間知らずで独善的とも言える、弱者救済という想いで突っ走っていた。

    大義名分から始まったが、次第に自分自身が沖縄で会った人々に救われたことで、この人達のために何とかしたいと燃えて活動するようになり、更には実は自分がしたいことが沖縄にあったと気がつかされて、人のためと自分の為が融合していった。

    最初、IT企業の仲間たちを、やんばるの山奥まで連れて行って、沖縄の現状を訴え、
    「自分たちが東京で安心してIT事業に邁進できたのは、日米安保があるからで、そのアメリカに一番恩恵を与えている沖縄に恩返しをしようじゃないか」と熱く訴えていた。
    「それなら政治家になったら」とよく冷めた声で言われたものだ。

    今思えば、稚拙なのだが、純粋に良かれと信じてやった挙句、IT経営者の仲間たちから距離を置かれてしまうこととなった。因縁には良かれと思ってやっても伝わらないということを学んだし、彼らには彼らの正義があることも考慮にいれなければ伝わるわけがないのだ。

    人にはそれぞれ正しさがある。今は、逆にIT企業の面々は、資本主義のスピードを早くして、社会の問題を露骨にしていく役目があると感じている。中途半端な状態より、トコトンやったほうがいいのだ。役目が違う人に、違う役目を頼んでも、それは押し付けに感じてしまう。

    自分には彼らのように上場させたり利益を出すために必死になることはできないし、またその能力はない。自分はベンチャービジネスというより、ビットバレー運動に燃えた、どちらかというと起業家より革命家志向だったのだ。自分は次世代のひな形を作る仕事が好きで、それをする役目がある人たちとは自然と縁もつながってくるのを実感している。

    ちなみに、高校の頃から、「パラダイムシフト」という言葉が好きで、その言葉を知った「パラダイムブック」という本を愛読していた。ニューサイエンスにワクワクしたタイプだった。その頃から革命が好きだったんだなと改めて思う。

    沖縄に関わりだした当時、熱心すぎて当時の仲間たちから距離を置かれたからこそ、新たな人間関係を作るしかない状態に追い込まれた。困らなければ、新しいキッカケを掴めない。あの時、身近な人達に拒絶されたからこそ、新たな人間関係がうまれ、次のキッカケを作る役割の人達と繋がれた。また、人と関わるのを避けていた自分だが、人と関わらざるを得なくなったキッカケでもあった。

    今でも、自分は当時の想いも考えも恥じることはないが、本当に何かをしたいのなら、自分の概念だけで凝り固まっては、小さな王国の独裁者でいるしかない。そこを勇気をだして飛び出すことで、新しい世界と繋がれる。わからない奴は、わからなくていいという想いも大事だが、わからないひとにどうしたらわかってもらえるかを努力し続けることも同時に大事なことだ。

    今、ビジネスで成功しようとすれば、想いは邪魔なのだ。本当に想いがあると儲からない。大量を求めるとどうしてもそうなるのだ。相手のために本当に想えるのは、多くても100人前後だ。それ以上になると、相手は友人ではなく、顧客となる。

    話を戻そう。自分の信念が強ければ強いほど、同時に相手へ違和感を与えてしまう。その正しさの罪も自覚した上で、その正しさを広げていけるか、器が求められる。清濁併せ呑むとはまさにこのことだ。

    器の大きさが大事で、その器を広げるには、狂信的な期間が必ず必要なのだ。そうした思い切りがないと、今いる居心地の良い世界からは抜け出せない。理性で冒険には飛び込めないからだ。

    かといって、いつまでも狂信的では世界は閉じたままで広がらない。その狂信者と大衆との間に入る、フォロワーがついて変化が加速しだす。人間、一人だけでは何も出来ないが、一人でもやり遂げてやるという覚悟がなければ始まりもしない。

    日常に生きている人をいかに非日常の生活へと導くかが、本当の仕事で、それが菩薩道だ。ただ、単純に正しさを訴えるのではなく、その危うさを自覚した上で、正しさの裏側にある想いを伝える、より高度な仕事が要求される。論理は伝えるのは簡単だが、想いを伝えるのは楽ではない。

    正しさだけでは難しいが、正しさなくして、何も伝わらない。矛盾の中に答えがある!



    【2013.06.06 Thursday 22:06】 author : oz
    | 仕事 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    この記事に関するコメント
    管理者の承認待ちコメントです。
    | - | 2013/06/10 8:52 PM |
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    ヘッセがここで言おうとしているのは、創作活動を通じて、奉仕したいという情熱を擬人化したものが、レーオだということだろう。そして、この作品はヘッセ自身よりも偉大だ。だからこそ、自分の作品にとって、ヘッセはただの媒介にすぎないのである。ヘッセのような屈折した人間にはとうていできないようなやり方で、作品は世の中に奉仕し、人を導き続ける。ヘッセにできたのは創造することだけだった。

    『サーバント リーダーシップ』
    ロバート・K・グリーンリーフ
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    狂信者では、次の仲間を獲得する機会を逃してしまいます。
    ぼくのチームも同じ状況でフォーマンセルを基本に3人の育成に当たっています。
    同時に、教育学を基本に上とのつながりを大切にしながら霊を強くします。
    言葉でいうのは簡単ですが、朝、祈るために起き、毎日神の言葉を聞き、血のつながっていない者を兄弟と呼び、夢を語り合う。

    先日、長老派では世界でもトップクラスの礼拝者をほこる教会の牧師先生のメッセージを聞きました。

    「どんな時にでも神様を求め、最後までより頼み、よりすがるものは、神様に出会う。」

    私たちには神の御前に出る資格のあるものは一人もなく、全てが恵みだからです。

    『レ・ミゼラブル』でも、教会で愛を知り、ジャン・バルジャンは生まれ変わりました。

    これから出来ることは限られているのでしょうけれど、沖縄に直接的に関わっていたいた頃に導くことができなかった者のためにも、失敗を通してどの場所からでも構わないので、あだ名にパウロの名を入れて頂いた身として、この国を変える次のリーダーを立てることができるよう誰よりも強く導く力を増して行くしかないのです。

    ・・・・・
    9わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのないものです。
    10神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

    コリントの信徒への手紙 一 15章9-10節
    ・・・・・


    | はやみん | 2013/06/07 10:58 PM |
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