旧 日々、菩薩の道
 
初心忘るべからず
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    物事は表面と裏面、両方を見ることで本質が見えてくる。得てして、裏側のほうが深い。内面と言った方が適切かもしれない。表面では、ただの笑顔でも、内面は葛藤や切なさ、期待と絶望など入り交じっているかもしれない。

    わからないからこそ、そうした内面の深さを美しく表現した文章に出会うと惚れ惚れする。
    「よくぞこの複雑な心持ちを現してくれた」と拍手喝采したい気になる。日本語は美しい。その文化の中で発達してきた、俳句のような簡潔な表現に込められた想いを汲み取る力を養いたい。

    どんな道でも、道を究めた者同士であれば、あうんの呼吸で伝わる。能の創始者、観阿弥親子が道を極める段階について「守破離」と説明した事をいつも思い出す。

    ■「守」師匠についてひたすら教えを守り、学ぶ時期。形が大事。
    ■「破」教えられた言葉から抜け出し、真意を探り、形の意味を知り形ができる。
    ■「離」型に一切とらわれず、自在の境地に入ること。形の共創造。一人でではない。

    類は友を呼ぶという。そこに安住していたら成長はない。違う世界と混じり、新たな類との出会いによって、世界は広がる。違う世界と触れれば、不安や違和感を呼び起こされる。そこに自分の内面が鏡のように反射される。

    この、守破離も簡単に書いたが、実際は深い意味が隠されている。求める心が深ければ、更に先人がどんな想いでこの言葉に行き着いたのかがわかる。元々は能の「序破急」から来ているという。ここですぐにエヴァンゲリオンを連想する人が多いのではないだろうか。こういうところがマニア受けするゆえんだ。

    仏教用語にも守破離は出てくる。解脱を意味していたり、菩薩の道を極めるには勉強になる。どこまで意識を高く持つかで、満足したらそこでオシマイだ。かえって、現代人より過去の人たちのほうが教養もあり、意識も高いのではと思うこともある。

    現代人だからこそできることもある。進化は決して時間の流れに沿って進歩し続けているわけではない。人間性という点で、人類は未だに争いあっている動物なのだ。折角この世に生まれてきたのだから、真剣に生きた人間たちの軌跡に触れ、自らもその足跡を残す一員たろうではないか。

    能だけをみても、もう何百年と未だに続いている。ビジネスとして考えても大したものではないか。一過性の消えてしまう泡を追い求めるよりは、後世に価値あるものを残したいのが真情だ。

    ある人は、「守」は下手、「破」は上手、「離」は名人といった。そして、それぞれが実は手本となる。教えることで学び、学ぶことで教える。共に信頼がなければ始まらない。道を極めたいと思ったら、生活のためという視点から離れなければならない。

    生活のために囚われたら、ドンドンと視点は低くなり、そもそもなぜやっていたのかすらわからなくなる。魔界入りだ。いつも初心に帰り、心の立ち位置を確認する。そうしたキッカケに自分はこのBlogを活用している。

    「初心忘るべからず」世阿弥の言葉だ。

    「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし」


    この言葉の意味も深い。皆が思っているような内容ではない。本来の意味を知れば、この初心の言葉の持つ意味が迫ってくる。道を極めたものだからこその意識なのか、原点への想いをいつも持てたからこそ道を極められたのか、鶏が先か卵が先か、面白いところだ。

    最後にこの言葉で終わりたい。能の部分を想いに変えて自分は意識している。

    「命には終りあり、能には果てあるべからず」(世阿弥「花鏡」)

    「命には終りあり、想いには果てあるべからず」

    【2013.03.18 Monday 16:11】 author : oz
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    想いの連鎖
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       予期していなかったが、逮捕される前に書いた記事で、恐らく一番読まれた「人間の価値」というエントリーがある。結果として2011年6月の書き込みはこの記事だけだったので、自分にとっては意味深い数字を持った記事となった。後々、読み返してみて、内容もタイムリーでシンクロしていたなと感慨深い。事件当時、コメントが殺到したが、中にこんなコメントがあった。

      もし、尾関さんを守るために頭数か必要だったり、自分が役に立てるならいつでも呼んでください。

      ほとんどの人間は匿名でコメントしている中、実名で堂々と応援のコメントをくれた。勇気と覚悟のある人間にしかこんなことは出来ない。言うは易し、行うは難しだ。彼はコメントに書いてくれた通り、有言実行してくれた。自分の仕事よりも、自分たちを助けるために仕事も一緒にやってくれて、最大限の協力と参加をしてくれている。

      こうした想いのある人間に囲まれていることが一番の幸せだ。かといって、狭い世界で仲良しこよしをしている訳ではない。想いがあるからこそ、それを欺瞞にしないために、逃げることなくぶつかれる仲間の有り難みがある。ぶつかり合う事でしか、人は磨かれない。想いがない人間とはぶつかる事も出来ない。適当なことを言って逃げるだけだ。

      真剣になればなるほど、大事なことは、頭の良さや器用なことよりも、想いを感じる人間であるかどうかだとわかってくる。いわゆる、頭のいい人間ほど、目先のことにとらわれて、本当に大事なことを見失いやすい。信頼や愛といったものを。

      見えない大事なもの以外でも、見える経済的なことももちろん大事だ。それについても、投資のことや沖縄の価値を伝えることで、価値あるものを残したいのなら、沖縄でやったほうがいいと伝えてきた。

      地震も放射能もない、暮らしやすい土地というだけでなく、地元の人が経済活動にあまり興味がないゆえに(笑)ビジネスチャンスで満ちている。勿体ないことだらけである。今後、人口も増えていて、土地もあがっていて、米軍再編に絡み、いい土地がドンドン出てくる沖縄が発展しないわけがない。観光客は、今まで高い航空券であっても600万人もきていたのだ。格安航空会社のLCC参入で更に来県数は加速する。

      そうした経済的な事に惹かれて、今後関わる人間は増えてくる。しかし、そうではない時から、経済的なメリットではなく、「想い」で繋がってきた人間の価値は計り知れない。

      冒頭に載せた曼荼羅。これは6人の仲間が11日間昼間は仕事をしながら、徹夜で作り上げた作品だ。自分の想いに対して、彼らの想いを込めて応えてくれたものだ。実物を見ると、その細かさに驚かされる。形や数に想いを込めて制作している。お金で買う事は出来ない。その想いを感じ、更に想いを込めた行動で繋げていく。「想い」に、「想い」で返していく。

      お金で返す事は容易い。想いで返すのは大変だ。大変だからこそ、誰にとっても価値がある。生活のためといった変な欲が絡まないからこそ、その体験を、その想いを純粋に味わえる。想いを感じた事のない人間にはわからない世界だ。

      そういう人間は、かつて人間たちが神々に感謝を捧げて、儀式や芸術を奉納してきた気持ちなどわからない。想いがわからない人間は、感謝の気持ちを表現されても、
      「そんなものより、お金の方がよかったな」と相手の想いを切り捨てる事だろう。

      例え切り捨てられても、いつか亡くなったとしても、想いは残る。相手がどう思おうと、それは大した問題ではない。想いを感じる人間がいれば、いつでもその想いは蘇る。想いを感じる事の出来る、想いのある人間にしか世界は創れないのだ。我々は誇りを持って世界を創っている。その証拠の一つがこの曼荼羅なのだ。

      311の日に記す

      【2013.03.11 Monday 13:46】 author : oz
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      彩り
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        人はすぐに白黒つけたがる。それは良いとか悪いとか。ハッキリさせないと気持ちが悪いのだ。頭の弱点でもある。幼児脳だ。ハリウッド映画はわかりやすい。だから理解されやすい反面、子供向けとも言える。

        「攻めろ」と「守れ」を同時に言われたら混乱するだろう。が、その葛藤の中に答えがある。
        「一体どっちなんだー??」という悩みの中からしか、価値ある体験とはならない。答えがないともいえるし、両方とも答えとも言える。

        答えをすぐに求めるから、ハッキリさせたがるのだ。ハッキリさせたがる自分との戦いだ。本当に大事な事は時間がかかる。実が出来るまでは熟する必要がある。

        答えが大事なのではなく、プロセスの中に意味がある。プロセス、経過が大事とはよく言われる事だが、大抵の場合、結果を出す為に経過が大事と捉えている。

        結果の為ではない。例えば起業したとして、起業を成功させる為にプロセスを大事と捉えると、折角体験できることが半分以下になる。結果に邪魔となる事は体験しないでおこうとなるからだ。

        ネガティブに感じた事も、結果を優先するならば無理矢理ポジティブにしかねない。無理してどこかにひずみが生じる。結果にこだわらないのだが、その前提の上で結果にコダワルことができたら高度だ。

        プロセスの中、感じた事で自分が見える。そうしたら、別に起業じゃなくても他の道に気がつけるかもしれない。人生一度しかない。どうせだったら、色んな体験出来た方が幸せだ。

        同じ仕事ばかりしていてもいいが、そういう人はこのBlogを読んではいない。いっけん同じ仕事に見えても、進化していれば外見は同じでも全く違う仕事となる。形式的な事を言っている訳ではないからだ。

        自分と縁がある人は、菩薩志向があるのだ。菩薩の道も色々だ。どんな仕事でも菩薩道を歩く事は出来る。今の仕事でも菩薩的視点で取り組めば、全く違う仕事となる。

        お寺に行くと、様々な仏像がいる。仏像の数だけ役目がある。自分の役目を全うできるか?そもそも自分の役目がわかっているか?ハッキリわかっていると言えるならば、それは自分で限界を作っている。

        かといって、強い信念がなければ人には通じない。強すぎてもエゴになる。進化に終わりはない。答えは常に変化する。決めつけたら終わりだ。楽をしては、その瞬間から後退を始める。

        世界は広大だ。人が一生かけたところでわかる事はたかが知れている。しかし、一瞬で世界がわかる事もある。その一瞬を求めて人は歩き続ける。

        毎日違う自分であっていい。ぶつかり合って、協力し合って、カラフルな色を表現し輝くんだ。色んな色を楽しみながら。

        【2013.02.17 Sunday 01:11】 author : oz
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        一瞬の価値
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          「みにくいアヒルの子」という童話がある。アヒルと思っていたら実は白鳥だったという話しだ。アヒルの世界においては、みにくかった子だが、違う世界の子だったからそう見えただけで、白鳥の世界においてはアヒルの子のほうがみにくいと思われたことだろう。同じだと思い込んでいたが為に、外見の違いからアヒルの子ではないと見抜けなかった。

          人間も同じだ。外見はどの人も同じだが、魂は違う。アヒルの世界で生きていくのがいい人と、白鳥の世界で生きる人がいる。白鳥の魂でも、アヒルの世界が大半だから、自分もアヒルだと思い込んでしまい、アヒルの皮をかぶった白鳥となる。だからどこかお互いに違和感があるのだが、そんなものだと妥協して諦めて暮らしていく。

          たまに自分は白鳥だと思い込んでいるアヒルもいるから面白い。どちらが良い悪いではない。向き不向きだ。どちらも、その世界での美しさはある。アヒルと白鳥の美しさは比べられない。人間の場合は外見でパッと変わらないから、わかりづらい。アヒルでも無理して白鳥の皮をかぶっていて頑張っている人もいる。

          そうした無理は続かないものだ。いつかは化けの皮がはがれてしまう。そうしたときに、それぞれ自分の世界に帰った方が生きやすいのだが、執着や慣れがそうさせない。余計苦しむ事になる。

          童話では、アヒルの子が白鳥になって、誰の目にも明らかな変化を遂げる。いつかはその瞬間がやってくる。

           どんなに平穏な日常を積み重ねようと一瞬ですべてが変化してしまう。それがこの世だ。311がいい例だ。地震が起こり、その前とその後では生活は一変した。いま日本は色んな意味で激動期に入っている。今後10年以内に、地震と富士山の噴火が起こると言われている。

          大衆は嫌でも変化させられてしまう一瞬を恐れている。まさかの一瞬が起こらないかのように生活している。逆に、一瞬の為に備えて生きている人たちもいる。軍隊がいい例だ。あるかわからない、戦争という事態に備えて日々訓練している。

          平和時においては、軍隊などムダ飯くらいだ。日々、訓練をして、装備を揃えて、無駄にお金を使っているように見える。役に立たないとか、何もないときは文句を言われるものだが、まさかの一瞬が起きたときには、その評価は一変する。
          「いてくれてよかった。ありがたい」と。しかし、平和時に言われる文句のプレッシャーに負けていたら逆に、
          「なぜもっと訓練しておかなかったのか?」
          「準備が足りない」などと文句を言われることになるだろう。

          大衆は長期的な視点などない。目の前の事で精一杯だ。人生でも同じ事が言える。どんなに今が良くても終わりが駄目であれば、それは悲しい人生だ。終わりよければすべて良しという。終わり悪ければ、すべて悪しになるのだ。

          途中でどう思われようと、最後には伝わればいいのだ。途中の評価を気にしていたら何も成し遂げられない。出来ない上に、中途半端で先ほどの話しのように、どちらにせよいつも非難されてしまう。だとしたら、いっその事やらないほうが身の為だ。中途半端にやるから自分も苦しいし、周囲にも混乱を与えてしまう。

          非難を甘んじて受け入れて、最後に納得させたらいいのだ。途中であれこれ言い訳しても無駄なのだ。それがわからないから周囲は文句をいうのだから。それに付き合うよりはコツコツと言い続け、実践し続ける事だ。そうすればいつかは、
          「なんだ、そうだったのか」と分かる日が来る。そうすれば途中の事など吹き飛んでしまう。意味が分からないと文句を言われていた事が、
          「さすが先見の明がある」と変化するのだ。

          ブレずに自分の道を信じ続ける事は簡単ではない。信念なのか?自分のエゴではないか?自分の軸を信じつつ、常にその軸を疑わなくてはならない。矛盾の中に答えがあるからだ。軸なのか?枝葉の事なのか?信念を悪用していないか?相手のためになっているのか?

          悩み、葛藤を続けたものだけが、自分らしい鳥として輝くのだ。

          【2012.12.29 Saturday 11:29】 author : oz
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          その心は?
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            歴史を見ると、戦争前の選挙はどうだったか?二大勢力と小さめの勢力、そしてその他といった感じになった。第二次大戦という国際関係の変化に押されるような形で、政党はなくなり軍部の政策を推し進めるだけの体制となった。奴隷を操るのに一番いい方法は、自分が奴隷と気がつかずに、自分で決めていると思わせる事だ。

            自分で考え、判断していると思っている。しかし、その考えはどこからインプットされたのか?常識や価値観は無意識に人を束縛する。自分の考えで動いているつもりが、実は視点を変えたら、ある目的の為に動かされていたらどうだろうか?

            最近見た、アニメ「氷菓」でもそんなエピソードがあった。自主映画の結末を巡っての話しだ。解決なのか?創作なのか?価値があるのは問題か?人の想いか?興味があれば見て欲しい。

            自分の意志で選択しているつもりでも、実は選択させられているとしたら?そう誘導されているとしたら?そしてその方が実際深い考えがあって、本人にも周囲にも誘導された方が価値あるとしたら?下手な考え休むに似たり、ということわざがある。自分で何もかもしようとするのは無理だ。良い悪いを言いたいのではない。意識できるか?できないか?

            選挙という一見公平に見える手段を通す事で、なんとなく正当化され、仕方がないと思うようになってないか?それをメディアが後押しする。本当に一票の価値を考えた事があるだろうか?真剣に国の事を考え、視野が広い人の一票と、自分の事しか考えずにイメージで判断してしまう人の一票が同じ価値だろうか?前の選挙で選択した側と選択された側の責任は?

            選挙制度を作った人の真意はどこにあったか?流されやすい大衆が力を持っている方が操りやすいとは思わないだろうか?賢者は、直接よりも間接的に影響力を行使する。将軍になるより、将軍に影響を持つ人になった方が効率的だ。将軍が変わっても、影響力を維持できる。

            いずれにしても、どの方向へと向かっているのか?その心がわからなければ、どう解いていいかもわからない。笑点とかで、
            「○○とかけて、△△と解く。その心は?」という謎掛けがある。

            基本の型でもある。法則でも同じ事が言える。人生でも時代でも問題でも、テーマを解く時、ほとんどの人はその心は?を忘れてしまう。

            金持ちになりたいとする。手段としてなにするのか?パチンコするのか?事業をするのか?それともおれおれ詐欺?はたまた投資家?いつの間にやら、その心を忘れてしまうから迷走する。本当であれば、
            「○○とかけて、その心は?△△と解く」でなければいけない。


            私のBlogを読んでくれている人は、コメントを見ればわかるが、人生を真剣に生きようとしている人ばかりだ。真剣に一個の人生を考えて向かった方が面白いと感じているから、こんなよくわからないBlogを見ているんじゃないの?(笑)

            その心を忘れてしまえば、よくあるパターンになっていく。金が欲しいとか、普通の幸せとか、そんな話しだ。本当にそういうのを望んでいる人はこのBlogに縁もゆかりもないんだよ。

            本当に戦争になるのが悪いの?今の地球の問題は一体なに?日本の事だけではなく、地球の問題とは何か?そういうことを考えた事があるの?また、そういうことを考えている人たちの心を考えた事がある?心が違うから、「解く」も違ってくるんだよ。

            戦争とかはそういう人たちの道具ではないの?それが良い悪いとか、どうこういいたいわけではなく、本当にそういうことを真剣に考えた事があるのか?そういう考えを持っている人たちが立派な人たちだとしたらどうなるの?私益の為でなく、公益の為に戦争を考えているとしたら?戦争は悪いと簡単に言えるけど、人類の歴史は戦争で発展してきた面はどうみるの?

            万が一のときの為にある保険。保険と同じように、万が一に備えている軍隊や基地。万が一の為に存在し、ほんの一瞬のためにだけ存在する。ひょっとしたら、今がその一瞬かも知れないとは思わないの?普段はムダ飯食らいだが、万が一という、そういったときのために基地とかはあるんじゃないの?

            恐ろしい話しだけど、その心を追求しないと見えない世界があるのだとしたら、違う展開が出来るようになる可能性も見えてくるんだよ。

            【2012.12.12 Wednesday 18:11】 author : oz
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            奴隷の解放
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              今日は何から書こうか。映画の話しか、因縁の話しか、最近面白いコメントの話しか、時代の話しか、etc。映画で言えば、昔テレビアニメで放映された時に解説した、魔法少女まどか☆マギカが劇場映画として公開された。それに伴って、「魔法少女まどか☆マギカ」にみる不変の法則の仕組み の記事がよく見られている。

              時が過ぎても価値があるものは、当初理解されないことが多い。例えば、西洋の城と言えばディズニーのシンデレラ城をイメージする人が多いだろう。その城のモデルとなったのが、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城だ。この城を建造したルートヴィヒ2世は、歌劇王と言われた作曲家ワーグナーのパトロンでもある。ワーグナーもまた個性的で面白い人物だ。

              ルートヴィヒ2世は、オペラと築城に明け暮れて、財産をそれに注ぎ込んだ。そのお陰で、精神病扱いされて、監禁されて、殺されてしまった。しかし、今や彼が作ったお城はドイツで一番の人気スポットとなった。タージマハルもそうだが、一人の狂気が後の人間に多大な影響を与えているのだ。狂ったと言われた人が後になれば、夢を追ったロマンの人と呼ばれるのだから面白い。

              歴史(過去)を知れば、未来がわかる。今を知れば選択が出来る。プレッシャーやストレスがあるからこそ、価値ある選択ができる。負荷に負けたとしても、心が負けたことに学びがある。プレッシャーやストレスの環境がある事に価値がある。そこから逃げても解決はない。また次に更に大きな問題となって帰ってくるだけだ。飛び込む事でしか、本質的な解決はない。

              飛び込む事が出来ない人もいる。世の中は、王様、貴族、将軍、兵士、奴隷、など色んな役目がいる。奴隷役の人に、信じて未知の世界へ飛び込めといってもコクなだけだ。飛び込む体験を望んでいないから奴隷なのだ。また奴隷が悪い訳ではない。今生で何を体験したいか?それが違うだけだ。良い悪いはない。役割が違うから世界は上手く回るのだ。

              どうせなら、奴隷役をするにしても極めた方が幸せだ。誰に仕えるかで、体験できる質が大きく変わってしまう。誰の奴隷になりたいか?普通に考えたら、金持ちで優しい人の奴隷になりたいと思うだろう。それはそうだ。それもいいだろう。それはそれで難しさがある。

              大事な事は、自分がどんな体験をしたいかを知る事だ。いまの自分の周囲に答えがある。いま体験している事にヒントがある。どの人に仕えたいか?表面的なことだけをみないで、愛と知恵がある人がいい。愛は時に厳しい。知恵は、受け取る側の準備が必要だ。本当の愛と知恵は分かりづらい。自分の側に受け取れるだけの準備がなければ、愛も知恵も気付く事がない。逆に、愛と知恵がある人ほど、愛と知恵がないと思われてしまうものだ。無知な人ほど、自分の視野が狭いから、相手をつまらない人間か、理解できない恐ろしい人だと見てしまう。

              自分の柱(はしら)を持って行動できる人と、誰かに依存しなければ生きていけない人がいる。奴隷体質だ。自分に柱がなければ、柱となる人が必要だ。そうしないと、どうしようもない人を柱としてしまう。そういう人は利用されやすい。そして結局自分も周囲も振り回して苦しむだけである。同じ奴隷でも、意思ある奴隷と流されてする奴隷がいる。

              大衆は何かしらの概念の奴隷である。奴隷である事にも気付いていない。奴隷である事に気がついて、それでも敢えてそれをするのなら、そこには選択という意思がある。奴隷である事に気がつかない奴隷は、利用されるだけである。価値ある奴隷とただの奴隷。

              映画「イエスマン」のように、イエスイエスと受け入れて奴隷を超える事も出来る。半端な奴隷をするくらいなら、トコトン奴隷をやった方が良い。相手にしても、そこまで背負う覚悟のある主人は少ない。トコトン受け入れたら、逆に奴隷から解放される。受け入れられないと一部の概念しか受け入れないから、ある概念の奴隷になるのだ。わかるだろうか?

              奴隷になりたがる人のなんと多い事か。日本はとても優秀な奴隷国家だ。国家を代表して会見する場でどんな紋章が使われているか?ご存知だろうか?

              最近コメント欄でそれについて書かれていた。この事についても書こうと思っていたので、シンクロしていて面白い。今日はその話しに飛ばなかったのでまた今度書こうと思う。

              【2012.12.06 Thursday 00:16】 author : oz
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              因縁の世界
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                 進化を続けていくと、新たな壁にぶつかる。ところが、その新たな壁は今までの壁と同じに見えるから、同じようなやり方で対処してしまう。まさか、ルールが変わったとは思いつかない。

                同じやり方でやっても、解決できなかったりする。問題は、問題そのものには答えがない。問題を解く一つの方法として、より大きな問題を持ってくるという高度なやり方もある。ルールが変わったときには有効な手段となる。

                慣れてきた、得意になってきたら要注意だ。意味が分からないというのは良い信号だ。わかりづらいかな?いつまでも同じやり方をしているのでは能がない。進化しなければ利用されてしまう。大衆はいつも同じ過ちを繰り返す。考えないし、楽だからだ。わからないことに向き合い続ける人間だけが光をつかめる。

                一方で、不変の法則を活用し、時代をリードし続ける人々もいる。ロスチャイルド家がこれほど長く語り続けられているのには訳がある。平清盛は一代で栄華を極めすぐに没落した。長い間栄え続けるには、表に立っては難しい。

                裏に回る事で、長く影響力を持ち続けられる。密教的にもエネルギーを得られるやり方だ。存在するのか?存在しないのか?よくわからないから価値がある。ではよくわからないのに、なぜロスチャイルドやロックフェラーはよく名前が出てくるのか?

                一体彼らは本当にユダヤ人なのか?時代は進んでいる。もはや、最先端ではロスチャイルドは古くて、タクシス家だと言われている。ロスチャイルドは金融で、情報を握っているのがタクシス家だ。更に言うと、テロとか暴力を担当しているのがサヴォイ家だ。

                名前が出ているときには、既にその実態は他に移っているのだ。移っているからこそ、その名前を使えるのだ。今が良いと思われているものは、実はもう終わっているのだ。終わっているからこそ、それを使えるのだ。

                最後は家に行き着く。因縁が結局は中心になってくる。その下に企業などがある。因縁に企業がひもつくのだ。因縁管理が出来ないと家は衰退する。因縁管理が世界で一番上手くいっているのが、日本の天皇家だ。世界で一番長く続いている王家だ。

                因縁の力を国家は良く理解している。また因縁の力を利用しなければ、国家はうまく治まらない。因縁の作用を利用して統治するのだ。その証拠に、国家は近親婚を禁止する。表向きの理由は遺伝子異常がでるからとされている。本当は霊的な作用が起こるからなのだ。それは表で堂々と言えないから、肉体のせいにして規制するのだ。本当に問題なら、なぜ近親婚を繰り返してきた天皇家が続いているのだろうか?

                長く続くのには理由がある。多くの壁を乗り越えたからこそ、継続できている。因縁にヒントがある。一番大変な問題だからこそ、その作用次第で大きな効果が生まれるのだ。論理では到底解決できないのが、因縁問題だ。

                色んな方向からのアプローチがなければ因縁は難しい。近くて遠い問題。深くて浅く見える問題が因縁問題なのだ。ここに世界の秘密が隠されている。

                【2012.10.16 Tuesday 23:59】 author : oz
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                決定論か、ランダム論か
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                   秋分の日が過ぎた。22日が秋分の日となるのは116年ぶりとのことだ。気にしなければ何ともないことだ。天体の動きなど何の影響もないと考えるのが科学的な見方。というのが一般的な視点だろう。ではなぜそれがニュースになるのか?ただのお知らせか?珍しいからか?

                  天体の動きは前もって予想できる。暦(こよみ)いわゆるカレンダーも、天体の動きを元にしている。昔から、暦を制定できるものは権力者だけで、暦には権力者の思想が織り込まれている。暦を支配するものが、世界を支配するのだ。現代の我々は普通に西暦を使っているが、それは無意識に西洋の思想に支配されているのと同じだ。ちなみに敗戦までは皇紀が使われていて、この皇紀は聖徳太子が制定したものだ。これも深い話しがある。堂々と誰もが使うカレンダーを通して、潜在意識に働きかけられているのだ。

                  サブリミナル効果というのを聞いた事がないだろうか?映画とかで、目にも留まらぬ早さでコーラを飲んでいるシーンを入れると、意識せずにコーラが飲みたくなるという話しで有名だ。人は意外に簡単に影響を受けやすい。マスコミや常識、雰囲気といったモノに無意識に影響されて洗脳されている。良い悪いの判断も、一体どこにその起源があるのか?よくよく考えずに受け入れる。

                  カレンダーは何年先も数字で決まっている。先を考える中で、片方は1万年先を考えている人と、片方は明日のことしか考えられない人では、話しが合う訳がない。明日のことしか見えていない人は、先の事を見ている人間に誘導されていく。これは良い悪いではない。そうしなければどうなるだろうか?世界はどうなるのだろう?

                  リードする人間たちは決定論で動いている。そして、リーダーは大衆にはランダム論で話すのだ。こういう形に持っていくぞという絵があって、それを実現するための方法を落とし込んでいく。大衆にはランダムでそれが起こっているように見える。

                  方向が決まってから落とし込むのが得意なのは官僚たちだ。官僚は学習と反復を得意としている。自分では決められない。決めてくれる人に弱い。企画と実行部隊は違うのだ。

                  仕掛ける側の例を書こう。ユダヤ教の実力者は、キリスト教の教会を豪華に作る。そしてキリスト教を発展させ、その幹部に対してユダヤ教の実力者が影響を及ぼす。キリスト教の信者に間接的に影響を与えるのだ。そして、その信者には、
                  「皆さん、明日は何が起こるかわかりません。だから神に祈りましょう」と教えるのだ。で、明日の事件を仕掛けて、
                  「ほら、何があるかわからない世の中です。怖いですね」とマッチポンプするのだ。

                  決定論か?ランダム論?かで問われると、ついどちらかのスタンスだけを選んでしまいがちだ。両方の考え方を利用してるとは考えにくい。思考の罠に大衆はハマりやすい。真面目脳だ。問いを作った人の真意はどこにあるのか?カオスを作る為なのか?どこかに誘導するためなのか?

                  カオス(混沌)の中から、新たな創造は起こっていく。カオスとランダムは似ている。意図があるのか?ないのか?管理できるのか?管理できないのか?

                  カオスを創りだし、そのなかを決定論を持ちながらランダムに楽しむ。人生、目的があるから頑張れるし、先がわからないから楽しい。いずれにせよ、変化が加速する事は決定している。

                  【2012.09.24 Monday 23:06】 author : oz
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                  徹底の先に愛がある
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                    台風のエネルギーは凄い。破壊もするし、浄化もする。台風がなければ助かる事もあれば、来なければ困る事もある。短期的には台風はなければ良い。長期的には台風がなくては困るだ。影響力がある存在は善悪を超える。天使も悪魔も半端な状態が一番たちが悪い。助けられもせず、かといって破壊も出来ないようでは中途半端な状態が続いていく。

                    世の中の大半の人は、中途半端な状態が良いと思っている。中途半端とバランスが取れている状態は似ているように見える。中途半端なのか?バランスが取れているのか?自分だけでは判断が難しい。

                    現代では、個人主義、自由主義が正しいものだと大半が受け入れている。絶対的な正義などはない。自分一人だけ、個人だけの幸せを追求しても、分かち合えなければムナしいだけである。一人の満足は小さな自己満足にすぎない。かといって、自分一人の満足を追求するなというのでもない。

                    繋がりのある状態で、自分の持ち場を極めていく。繋がりのない状態では、自分が中途半端なのか?バランスがどうなのか?も見えてこない。お互い、真剣勝負の眼があるから磨かれる。普通の会社ではどうしても上下関係が出て来て遠慮が出てしまう。また、普通の組織は上下関係がなければ収拾がつかなくなる。だから、立場の上下関係でなく、持ち場と意識によって創られる関係は難しい。難しいからこそ価値がある。

                    どんな関係で繋がっているのか?お金なのか?情なのか?大義なのか?愛なのか?
                    それぞれにメリット、デメリットがある。使い分けられる人は少ない。とことん徹底的にどんな立場も極める事で、他の立場も見えてくる。徹底できなければ、天使が大天使へと進化する事はない。大天使と大悪魔は同じようなものだ。それぞれ力量がなければつとまらない。

                    徹底と言えば、かつて「いい人が飛躍できない理由」で書いた事だ。そのとき、トムクルーズの話しを書いた。そのトムは今年離婚をした。彼は徹底している。歴代の奥さんとかつての彼女を含め7人連続で同じ事を実行している。普通は情が入るものだ。情との戦いは苦しいものがある。なかなか出来る事ではないが彼は徹底して実行している。その詳細は敢えてここでは書かない。

                    破壊がなければ創造もない。日本全体が破壊を待っている。政治で言えば、議会制民主主義が限界に来ているのではないか?多数決がすべて正しいわけではない。どういう政治体制が機能するのか?経済的視点から見て資本主義は限界ではないか?金融はどうあるべきなのか?そもそも日本とはどうあるべきなのか?日本文化とは何か?根本から問うべき時代だと感じる。日本から見たら悪霊に見える国も、変化のためには必要なのだ。

                    自分たちは、来るべき時代の為の雛形を作っている。実践を通して学ぶしかない。家族のあり方も含めて、新たな生き方が問われている。いま当たり前と思っているスタイルは当たり前でなくなる。

                    ただでさえ、人口構造が代わるのだ。時代が変われば、考え方も変わらなければついていけない。目の前の事を徹底する事でそのヒントは見えてくる。短期ではなく、長い眼で物事を見なければ先は見通せない。見る目がなければ、どんな苦労も報われない。誰もが持っている直感と言う心の眼に従う事で道は開ける。

                    徹底して自分の心に従えば、途中の状態はどうあれ、最後は必ず
                    「終わりよければすべて良し」になる。途中良いけど終わり悪しより良いではないか。
                    【2012.08.30 Thursday 19:01】 author : oz
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                    肯定も否定もせず
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                      今年の1月13日の金曜日に「聖と俗の境目」を書いた。その日に野田内閣が発足し、13日の金曜日に組閣したのは歴代初めてという。今日も13日の金曜日。まだまだ不吉というイメージがすぐ湧くだろうか?ちなみに、いまオスプレイ配備が話題になっているが、普天間で起きた沖国大米軍ヘリ墜落事故は、13日の金曜日に起きている。偶然その日に起きたのか?それとも狙って起こされたのか?今度のオスプレイ配備は強引に感じないだろうか?だとしたら何故か?墜落させて話題を作りたいのだとしたらどうだろうか?

                      真面目脳では絶対に出てこない視点だ。13日の金曜日が不吉とする意見の一つに、その日にテンプル騎士団が迫害された日だからという説がある。映画「ダヴィンチコード」でおなじみの陰謀論のスター騎士団だ。映画にも出て来たロスリン礼拝堂は明治維新後の岩倉使節団も訪問したという。その礼拝堂を作ったのがフリーメーソンとかテンプル騎士団だとかいう話しよりも、自分が面白いと思うのは、世界初のクローン羊が誕生した場所がロスリン研究所ということだ。つながりがあるのか?偶然なのか?そもそも一体何を求めてクローンの研究をしているのか興味深い。

                      テンプル騎士団やフリーメーソンというと、すぐに陰謀論という連想で思考停止してしまう。では、陰謀論の反対は何論なのだろう?世間の常識をそのまま受け入れろ論だろうか。陰謀という言葉は、怪しく受け入れてはならないという概念に洗脳されているのではないだろうか?歴史は勝者によって書かれることを忘れてはならない。

                      余談だが、誤解を恐れずに書くと、覚醒剤という言葉もそうだ。もうその言葉を聞いただけで、無条件にイコール悪となる。洗脳されている。剤という言葉をとって、覚醒という言葉だけを見たら、覚醒という概念は素晴らしいことではないか。覚醒させる剤があったとしたら、(例えば映画マトリクスでモーフィアスがネモに提示した薬のようなもの)本当は素晴らしい。いま言われている覚醒剤は、覚醒ではなく、興奮剤、麻痺剤、逃避剤、幻覚剤とか言うべきものだ。それを覚醒という言葉を使うところに、意図を感じるのだ。

                      「覚醒するな、奴隷でいることが大事だぞ」と。
                      「うん?何かおかしくないか?」と違和感を感じる人間は、非常識でおかしい人間とされていく。言葉の意味をよくよく考えることもせず、洗脳パターン化された反応をする、まさに奴隷だ。千と千尋で感じなかっただろうか?

                      薬による覚醒のイメージを描いている映画が最近では、「リミットレス」だ。善悪を超えて、もはやそうした薬も現実に出来ているのだろう。思いついたら試さなくては気が済まないのが人間の性だ。肉体でさえドーピングが話題になっている。頭脳のドーピングも確実にある。頭脳の生み出す価値は、肉体の生み出す価値に比べたら計り知れない。頭が良ければ世界は違って見える。小説「ジェノサイド」や映画「フィリップきみを愛してる」「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」などを見たら、頭をドーピングしたいイメージにかられるだろう。

                      私たちには思いつきもしない発想で、世界を見ている人間がいるのだ。13という数字に踊らされるのか?13という数字を使って、世界を誘導するのか?そのまま何の疑問もなく受け入れている人間は踊らされるだけだ。奴隷と同じだ。なぜ誘導したいのか?どこに誘導したいのか?何も考えない人間は、千尋の両親のように豚と同じ扱いを受けてしまう。銭婆の世界観が分かれば、自ずと自分の役目も見えてくる。

                      かつて13は聖なる数字だった。私たちが普段使っている西暦によって、今日は13日の金曜日になっている。別の暦であったら今日は違う日で、金曜日という概念さえなかっただろう。無意識に暦に支配されている。暦についてはまた詳しく書く。

                      13という数字はアメリカの一ドル札に見ることが出来る。スターウォーズに影響を与えた、神話学者のキャンベルによれば、
                      「十三という数字は、変身と再生の数字。十二という限界範囲から脱出して、超越界に入ることを示す」という。

                      今までの概念を破って、新たな世界に飛び込むにはちょうど良い日だ。世界を偶然の連続で出来ているカオスだけと見るのでもなく、意図的に仕組まれた世界だけと見るのでもない、善悪二元論を超えた世界だ。

                      偏見を捨てて、何でも受け入れつつも、尋ねる心はもち続ける。そこで次のステップに行ける。それはまた次の機会に。

                      【2012.07.13 Friday 15:13】 author : oz
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