旧 日々、菩薩の道
 
正子の愛
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     白洲次郎は、海外で好きに遊ばせてもらっていた。実家はお金があったので、その資金力のお陰で次郎はイギリス人脈が出来た。そこで目を付けられ彼はある秘密の仕事に携わる事になる。そのことについては後に触れるとして、彼は好きに遊ばせてもらった代わりに、政略結婚をさせられる。

    そのお相手が、樺山正子。文句なしの貴族の家柄だ。彼女は家柄も良く才女で、何も不満もないようにみえる。今でこそ、白洲次郎と正子夫妻の関係は理想の夫婦関係のように見る人が多いが、最初から良い関係であったわけではない。

    正子の苦悩を語るには時代背景を理解しないとわからない。当時は、貴族というものが残っていたように、重厚長大な時代だ。戦艦であれば大和のように、でかくて重くて存在感あるものこそが素晴らしいという価値観の時代だ。人の姿形も、重鎮といったような趣きが求められていた。当時の上流階級はそういう落ち着いた雰囲気の中でパーティなどをしていたのだ。

    幼い頃からパーティ三昧の正子にとって、もうパーティーは飽き飽きだった。しかし、次郎はパーティー大好きで女遊びも激しかった。はしゃぐ次郎を見る正子の気持ちがわかるだろうか?

    次郎は今でこそ、ジーパンを日本で初めて履いた男などと呼ばれオシャレなイメージがあるが、それは現代の時代感覚でみるとである。重厚な時代にジーパンは軽薄なイメージだ。実際、若い頃の次郎は重厚とはほど遠い、どちらかというとヤンキー的な軽い男だった。

    想像してみて欲しい。白洲次郎と正子がデートをしようとレストランに行くとする。立派な車から出てくるのは、いかにも貴族の正子とチンピラ風の次郎。ボーイは面食らう。この似つかわしくない取り合わせはなんだろう?と。下手すると、正子がジゴロの男を連れているのかと見られてしまう。

    正子はそれが嫌で嫌で仕方が無かった。自分が下品な人間と見られる事は貴族としてのプライドが許さないし、そんな人間と行動しなくてはならない事が辛くてしょうがない。苦しくて苦しくて、益々趣味の世界や古寺に救いを求めていった。寺に行くにしても、正子は自分のコネを使えば有名寺にいけるのに、あえて名も無いような寺ばかりを回った。

    一方、次郎は得意な英語を駆使して、欧米人の間を立ち回ったり、女性にモテまくっていた。しかし、周囲の人間はそんな次郎を認める事は無かった。どんなに彼が頑張ったとしても、その風貌や発言、仕草から、軽い人物に見られていた。女性にモテたのもよくなかったのだろう。

    さて彼の秘密の仕事はなんであったか?一言で言うと、彼はスパイだった。だから吉田茂にとっても使い勝手がよかったのだ。次郎の威勢のいい話しは種がわかってしまえばなーんだとなってしまう。「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれ、連合国に楯突いたという話しがあるが、当然である。出来レースなのだから怖くも何ともない。

    さて話しは正子に戻る。正子は苦悩があったから随筆家として名を残したとも言える。岡本かの子もそうであったように、苦悩があるから光を生み出せるのだ。苦悩なき偉人はいないのである。

    正子は夫である次郎の事が因縁だからこそ余計に嫌でしょうがなかった。夫は正子の家柄を利用して好き勝手に遊んでいるだけではないかと。だが、ある時ハッと正子は気がついた。

    いつものように、「このチンピラが偉そうに」と、次郎のことを見ている人をみたときである。いつもなら「またか」とイラつくところだが、正子はその人から目をそらし、ふと次郎の顔を見たときに、その表情に苦悩を発見したのだ。

    次郎は自分がチンピラのように見られてしまう事に苛立ちがあった。イギリス留学し、秘密の仕事もしているプライドがあるのに、自分が軽く見られてしまうのが許せず、人に対して傲慢に接してしまう始末だった。そしてそれが益々チンピラぽく見える悪循環である。その事に正子は気がついたのだ。

    「この人は誤解されてしまう人なんだ。私しか彼の本当の姿を理解してあげられる人はいない。私だけが理解して支えてあげよう」と。そこから本当の夫婦として歩みだすのだ。正子の愛によって、白洲次郎は自分らしく生きられたのだ。

    たった一人でも、自分の事を理解して支えてくれる味方がいれば幸せだ。それだけでどんな敵とも戦えるのだ。
    【2011.05.26 Thursday 23:12】 author : oz
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    太郎の背景
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      生誕100年を祝して、つい最近まで展覧会が行われていた二人の人物がいる。岡本太郎と白洲正子。時代を超えて再評価されている二人に新時代のヒントがある。そして面白いことに、この二人の人間関係がまた似ているのだ。

      岡本太郎は「職業は人間だ」と言ったが、私に言わせれば、彼の職業は菩薩だ。彼の表の歴史は調べればわかるだろうが、普通ではわからない歴史に触れていく。

      以前に書いた、調べてもどうしてもわからない壁の先の話だ。

      まず、太郎の絵は本当に評価されていたのだろうか?実は才能がないと学校では散々だったのだ。日本で画家として活躍することなど到底無理だと宣告されていた。

      しかし、そんな太郎に入魂とも、呪術とも、念とも言える情熱を注いでいたのが母かの子である。彼女が特別だったからこそ、岡本太郎は誕生したのだ。彼女自身は夫との関係に苦悩し、精神も病むが、苦悩したからこそ魂は磨かれた。晩年は夫の一平から観音菩薩と崇められていたほどだ。彼女は仏教学者として仏教に造詣も深かった。

      その狂気とも言える愛情を受けて太郎は「岡本太郎」になったのだ。

      学校から才能がないと烙印された太郎を連れてパリに行く。学校の評価など気にしない。太郎には何かがあると信じ、そしてそのままパリに置き去りにするのだ。

      パリでもやはり才能がないと批判されて絵も描くのが嫌だった太郎は、最初遊び呆けて暮らしていた。そして景気よくお金を使う日本人として、お金のない貧乏な画家たちのパトロンのような、道化師のようなことをしていた。さて、そのお金はどうしたのだろうか?

      当時はかなりの資産がなければ、海外留学など、ましてや遊学などできるわけがなかった。皇族や華族などのエリートだけがヨーロッパでの生活を満喫できたのだ。一体そのお金はどこから?

      これはどんなに調べても、その資金の出処はわからない。両親である、かの子と一平にそれほどの収入があっただろうか?普通に考えたら、ただの新聞社員の一平には到底無理である。ましてかの子の実家は元々大地主とはいえ傾いていた。実家からの支援は受けられず苦労していたのだ。

      太郎はお金の力で出版や展覧会もしている。お金があるから相手にされたようものだ。結論から言うと、父の一平はただの新聞社員ではなかったのだ。

      当時の一平は、大人気の漫画家であった。大衆への影響力を持つ一平を利用して、世論を誘導する目的で機密費が使われていたのだ。その機密費を一平は太郎のために流用したのだ。

      いわば、国のカネで太郎を創り上げたと言える。こうして、現代では多くの人間に影響力を与えているのだから、その投資は意味があった。不思議なものである。

      帰国してからも、太郎は美術界からも評価されず、逆に戦いを挑んだ。そんな彼が、いまや芸術家においては人気ナンバーワンなのだから面白い。しかし、晩年の太郎は忘れ去られていた。今のように人気がでて、再評価のキッカケを作ったのは、岡本敏子だった。

      敏子は、元々太郎の母である小説家であるかの子に憧れていた。太郎との出会いは、かの子がキッカケなのだ。敏子は、太郎の中にかの子をみて、一心同体になろうとした。彼のために生きることを決意し、岡本太郎の文章は全部敏子が書いていた。かの子の霊が敏子に降りたのだ。かの子の霊は敏子に引き継がれた。

      そして岡本太郎は、絵ではなく文章がキッカケで再評価され注目されるようになった。太郎の母である「岡本かの子」の文学を裏で受け継いだのが、敏子。表で受け継いだのが、瀬戸内寂聴だ。実は、太郎と敏子、寂聴は三角関係であった。それがキッカケで寂聴は出家したのだ。因縁という凄さの一端が理解できるのではないだろうか。「岡本かの子」の影響力は現代にまで続いている。

      長くなったので、岡本かの子と同じく仏教研究者だった白洲正子についてはまた次回に。
      【2011.05.16 Monday 23:23】 author : oz
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      特別な人間とは
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        世の中には真面目で優しくて責任感に溢れた人間は結構いる。それと同じくらい不真面目で冷たくて無責任な人間もいる。勿論、友達にしたいのは前者だろう。だからといって、後者の人間を避けていては狭い殻に閉じこもるのと同じだ。

        どんな人間にも持ち場がある。出会った意味があるのだ。それを追求しない限り、自分も活かされることはない。人を活かせなければ、自分も活かされることはない。

        現代は、普通にいいことをしていても儲からない。
        社会的に素晴らしい活動ほど、貧乏暇なしとなっているケースが多い。

        それでいいのだろうか?
        社会に対して愛の貸付をしているのに、踏み倒されているのだ。もっと自分たちの価値に貪欲にならなければならない。自分がしている仕事はどんな価値があるのか?きちんと認識していないから、対価を得られないのだ。当人もそこまでわかっていないのだ。

        一見、金を稼ぐ仕事こそが出来る仕事のように見える。
        しかし、人が変わるキッカケを提供していたり、愛で包んだり、やる気を与えていたらどうだろうか?その価値はお金には変え難いし、多くの人間は「ありがとう」の一言で終わりだ。タダ乗りだ。実際、愛ほどタダ乗りされやすいものはない。

        いい人だから、無料奉仕してしまうのだ。それでまたいいと思ってしまう。それはそれで本人はいいだろう。自分は良くても、周囲は困る。それが当たり前と思われてしまう。当人や周囲にきちんと価値を伝える人間は、それだけで特別な仕事をしている。

        特別な人間ほど、本質的な価値をよくわかっている。だからこそ、執着なく自然と富も徳も人も集まる。無理がなく、矛盾もない。いいことをしているのに、貧乏暇なしといったおかしな苦労するのはどこかが間違っているからだ。どの世界も楽ではないが、ここで言う苦労とは、成長の苦労とはまた違うものだ。

        本質的な価値がわかる人間は、周囲にその価値を利用されやすい。だからこそ簡単に人には会えなくなってくる。本当は当人も会いたいのだが、相手のことを想って会えなくなるのだ。その切なさがわかるだろうか?

        影響力のある人間は危険な兵器と同じだから、当人も周囲も取り扱いに慎重になる。緊張感のある関係がないと欺瞞に陥りやすいからそれも大事なのだ。すべてのことに意味があり無駄がない。そんな世界を知ることが出来て私は幸せだなと改めて感じた。

        こうした特別な人間たちがいる世界のことを今年はもっと伝えていきたい。
        【2011.01.11 Tuesday 23:55】 author : oz
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        この世は修行
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          前回の記事に興味深いコメントを頂きありがとうございます。そして、それに対していくつかの反応を頂き感謝です。
           
          私が直感で感じるところは、夫婦の因縁の関係もあるでしょうから、目にみえるところに向かっても答えは見えないように感じます。

          向かい方にも色々あります。まずはお子様­と共に、旦那や学校と距離をおいてみるというのも一つの方法です。離れてみて初めて見えるものがあります。


          実は、問題にみえる子供が天使で、周囲に気付きを与えるために、その役割を担ってきているとしたらどうでしょうか?

          世間からみたら問題児でも、実は天使の役割ということはよくありま­す。例えば、ダウン症やいわゆる障ガイ者の子は天使があえてやっているのです。


          この世は修行の場です。 重力があり、思い通りにならない場所で、ただでさえ大変なのに、そこにあえて不自由をもって産まれてくる人間は霊格が高いのです。

          問題から何を学ぶか?ピンチはチャンスですね!

          【2010.09.14 Tuesday 23:53】 author : oz
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          国は崩壊しコロニーが生まれる
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            国や地方自治体はすでに崩壊過程に入っている。すでに日本の借金は800兆円を超え、世界第二位の日本のGDPは今年までで来年には中国に抜かれる。

            そして本日の朝日新聞一面記事の見出し。‘悪夢「20XX年」日本破綻’大手新聞でここまで踏み込んだ記事がかつてあっただろうか?

            日本の象徴であった「日本航空」も破綻してしまった。また世界のトヨタがこうなるとは、だれが予測できただろうか?世界的にみて、日本はすでに死にかけている。

            この貧困国の国内のみで経済が回るはずがないにも関わらず、多くの国民は未だ世界を見ていない。世界の中心であったアメリカは、すでに日本国など眼中になく、中国及び中央アジア諸国を見ている。

            今後、日本は素通りされる国になるだろう。すでに日本人は無意識のうちに戦えない人種になってしまった。今のままでは、これから日本が世界の中心になることはなく、どこか発展する国の金魚の糞のように動く癖がついてしまっている。

            日本の金魚であるアメリカはすでに瀕死の状態である。リーマンショックやサブプライム問題によって、死にゆく金融機関を、連銀が救済に入ってなんとか回復してきた、という報道が流れているが、すでに連銀すらゾンビ状態だ。

            いくら回復してきているとは言っても、実際にアメリカは失業者が増える一方だし、不動産価格も落ち続け、ローン破綻の増加も止まっていない。今の状態は1930年代の世界恐慌と似ている。今年の夏以降に、もっとひどい不況の二番底に陥る可能性が高い。

            日本の金魚がそんな状態だから、その糞である日本の経済は益々疲弊していき、地方自治体もうまく機能せずに、国のシステム自体が寿命を迎える。

            国というシステムが崩壊後、人々はそれぞれが生き、最小単位のコロニーになる。世界の再構築が始まり、時代に乗り遅れる人は、淘汰される。

            破壊と創造である。
            これほどの世界的大変化に直面出来ることはそうはない。
            面白い時代である。

            【2010.03.07 Sunday 15:42】 author : oz
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            シンクロニシティ
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              シンクロは、気がつかないと意味がない。

              我々の世界では、シンクロが頻繁におこる。すると、論理を超えたつながりが生まれ、一足飛びに事態が進展する。これからの社会は、こうしたことが自然になっていく。いま常識とされている論理的なやり方が、効率悪いことがわかってくる。

              シンクロに気づけるか?これからの主流の人間には必須のスキルだ。そして、その流れに乗ることが出来るか?時代を創る人間に必須の特攻精神だ。

              多くの人は、意味ある偶然(シンクロニシティ)とは捉えず、偶然の一致と捉える。それでは何も生まれない。

              シンクロの連続こそが、非連続な結果を生み出し、驚異的な出来事を出現させる。振り返ってみれば、絶妙なタイミングの連鎖による化学反応のように。

              時代の変化というのは、こうしたシンクロにより加速していく。絶妙なタイミングが重ならない限り、大きな変化は一気には起きない。ドミノ倒しに似ている。バタフライ効果といってもいい。

              手元の些細な一手が、やがて大きな変化として戻ってくる。これが意識できないと、今の現実に潰されるだろう。

              世界を単純な因果関係とみるか、もっとダイナミックで有機的な世界と見るかで意識は変わる。

              近年、時代の流れを見ると、企業の発展も論理の世界である程度まではいけることがわかったが、そこからの飛躍はないということもわかった。その先はシンクロの中に飛躍の芽が隠されている。その信号に気づくものが、成果を得られるだろう。
              【2010.02.22 Monday 11:30】 author : oz
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              死んだら現実
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                我々の世界は、生きている「今」が夢の世界。死んだら現実に戻るだけだ。
                「ああ、生きていたときは夢のようだったな」と。

                制約があるから突破する喜びがある。何でも自由だったらつまらないのだ。

                普通、人々が考えているのは、死んだら天国に行きたいな、というのが一般的だ。死んでからが特別な世界だ、と考えている人が多い。しかし、死んだら何もないし、何でもある。両方は同じだ。

                一般的に言われる宗教では、来世やあの世で救われるために信仰している。いわば「逃げ」の宗教が多い。

                しかし、実際は生きている「今」だけしかない。チャンスは「今生」しかないのだ。「今生」どう生きるかにかかっている。あの世や来世のために、今を生きるのではない。

                次の人生こそは!では同じことを繰り返すだけだ。夢の世界、あり得ない世界、憧れの世界、アニメのようなハプニングが起こる世界に生きることができるチャンスは今しかない!

                しかし、人間という生き物は、
                「そうはいっても生活が・・・。」とか
                「そうはいっても今の仕事が・・・。」などと言い訳を必死で探そうとする。本当は求めているのに・・・。

                これは安定を望むDNAと、変化を望むRNAの人間の中の遺伝子に組み込まれた矛盾した戦いであり、これにより葛藤や苦悩が生まれる。本当はそんなことで悩む必要などない。今死んだら「自分は満足な人生だった!」と言えるだろうか?それが答えだ。

                死んだら現実に戻ると思え!今が夢の世界なのだ。今が現実という夢を見ているにすぎない。死んだら現実なのに、生きている今も現実に生きるのはあまりにもナンセンスだろう。

                【2010.02.16 Tuesday 14:31】 author : oz
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                坂本龍馬、実像と虚像
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                  坂本龍馬がNHKの大河ドラマで放映されているため、各地で話題になっている。私も坂本龍馬は昔から大好きで、時代の例え話に明治維新や維新志士たちを取り上げて話したりしている。

                  では、いったい坂本龍馬とは何をやり遂げた人物なのだろうか?先日、日本の歴史を専門とする大学の教授と話をした。そのときに、明治維新の話になったのだが、以下の事実を知るに至った。

                  実のところ、龍馬はたいしたことをやっていない。
                  「いいや、大政奉還を誘導したじゃないか!」
                  「いいや、船中八策を書いたじゃないか!」
                  という声が聞こえてくるが、事実は多分に怪しいという。

                  ほとんどの人は、「竜馬がゆく」(著:司馬遼太郎)でのイメージでしかない。その教授はそういった著書ではなく、歴史的文献を研究しているので、一番事実に近いことを知っているのは明白だ。船中八策にいたっては、写本も原本も存在しないのである。

                  教授は語る。「龍馬は実のところなにもやっていない」

                  だとしたら、なぜこれだけ現代において龍馬が英雄的に扱われているのだろうか?

                  龍馬は生前より死後に有名になったのである。最初は、死後16年たって高知の新聞に小説で取り上げられたものが、挿絵の人気もあって好評を博したという。小説なのだから事実を脚色している。無論、血沸き肉躍る風に書かねば人気も出ない。

                  それでは、全国的に人気が広がったキッカケは何だったか?
                  それは誰かが意図的に創り上げられたものだとしたら?
                  そうしなければならない理由があるとしたら?
                  例えば、西郷隆盛を英雄にさせないために、龍馬を英雄に創り上げたのだとしたら?

                  坂本龍馬は日露戦争における日本のナポレオンと言われていた。当時、日本は大国ロシアとの戦争に恐れを抱いていた。そこでこんな事件があった。

                  日本海海戦の前に、皇后が夢を見た。「日本海軍は勝ちます」と侍の男が語った。宮内大臣が、「この男ですか?」と龍馬の写真を見せたら、「この方です」と言ったという。

                  このやり取りが新聞に載り、実際に海戦で勝利したことから、一気に龍馬は有名になった。しかし、これが事実かどうか誰もわからない。当時の宮内大臣は、土佐出身で陸援隊出身の田中光顕だった。ちなみに彼は、龍馬と一緒に事件にあい、後に死んだ中岡から事件の様子を聞いている。龍馬が人気を得るまで、賊軍の大将であった西郷隆盛の人気は圧倒的だった。龍馬が出てきたことで、人気は二分された。

                  結局、龍馬という人間に対する信仰、偶像を創り上げることによって、生きている人間の戦闘士気を高めたといえよう。

                  最近での例では、急に人気が出た白洲次郎も同じだ。彼も何もしていない。だから逆にいいのだ。好きなようにイメージを作れる。創作の余地があるほどいい。忠臣蔵もよい例だろう。

                  人間とはイメージの動物なのだ。イメージできれば、それは真実になる。

                  例えば、恐怖とは「見えない」から恐怖であり、恐怖と感じているモノが見えたら、それは悩みか何でもないモノでしかなくなる。見えないモノを想像し、イメージし、それがその人の世界の中の真実となる。


                  大衆には、そのイメージがウイルスのように増殖していくのである。なにかを成し遂げるのであれば、大衆にイメージさせる、もしくは自然にイメージしてしまうように、想像させることが重要だ。その思念、想念は何かしらの物質があるとしたらどうだろう。

                  それがウイルスのように伝搬していく。それが良いイメージだろうと、悪いイメージだろうと関係ない。利己的遺伝子論を唱えたドーキンスも、そうした概念を情報遺伝子ミームとして提唱している。そういう法則があるのだ。

                  だから、坂本龍馬がなにもやっていなくても、「龍馬」という言葉のイメージのみで人は判断する。自由闊達で先進的、度量が大きいというイメージを求めているから、それに合致する龍馬を支持する。

                  龍馬は今まで女性には人気がなかった。しかし、坂本龍馬を福山雅治が演じることによって、女性に人気がなかった龍馬像が、現在では「龍馬が好き」という女性が増えてきている。

                  面白いことに、それを演じた福山雅治も年配の人間には、何者なのか知られていなかった。それにも関らず、キムタクといつも人気を競っていたのだ。キムタクは年配の方にも知られていた。一方福山は年配に知られていないのにも関らず人気を競っていた。今回大河ドラマに出演したことで、若い女性に人気が出た龍馬と年配に知られるようになった福山は人気も増すであろう。

                  そして、この時代にNHKが龍馬をもってきたことにも、理由がある。今の日本には龍馬がイメージしているような人物、英雄が必要なのだ。日本人という民族全体を引っ張ってくれるヒーローを人々が求めている象徴なのだ。

                  龍馬が、実際に活動したのは何年間だろうか?
                  世界で一番有名人であるキリストが活動したのは何年間だろうか?

                  世の中を震撼させる人物、後世にずっと名が残るような人物が、本気で彼らの活動をおこなった年数は、実は5年間そこそこでしかない。

                  龍馬も歴史的な意味では何もしてはいないとはいえ、当時の時代魂、民族魂の間を泳ぎまくっていたのだ。だからこそ、後にストーリも作られる。そして、実際彼のような人間が千人ほど死ぬ気で動いていたから時代は動いたのである。評価は後世に任せよう。

                  まずは動かなくては始まらない。今こそ志士が必要だ!
                  【2010.02.06 Saturday 16:42】 author : oz
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                  パワースポット巡りの無意味
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                    多くの人は、神社仏閣に行く時に御利益を期待する。エゴの為に参拝するのだ。本来は現世的な利益を期待する場所ではなく、自分と向き合うことのできる特別な場所である。

                    様々なつながりから、今生きて存在していることに感謝を捧げ、自分と向き合う。感謝と内観は日常でも大事であるが、特別な磁場があるからこそ、更に深いものとなる。


                    経営者の中にも信心深い人は多い。昨今は、パワースポットめぐりと称してパワーをもらいに行くという。

                    そんなパワースポット巡りが大好きな経営者や政治家から、パワースポットの案内と、沖縄の霊能者であるユタを紹介して欲しいと頼まれることが多い。それは別に構わないのだが、いつも注意をする。

                    「ご利益を外に求めて何かを引き寄せても、その分代償を支払うことになりますよ。パワーを得たと思ったら、知らぬ内に魂を売っていたり、悪霊を身につけてパワーと勘違いしたりします。」

                    そういった人たちが抱える問題への答えは、自分自身の内側に既にある。それを知るためのヒントとして霊的パワーを活用するのであれば意味がある。また、ヒントを得たとしても、助言する第三者がいないことには、自分のエゴの為にどんなパワーも悪用してしまう。

                    霊的なもの、神秘的なものというのは、興味深いものだ。しかしながら、霊的知識はただそれだけを探求しても、好奇心が満たされるだけでキリがない。パワースポットを周り、エネルギーを貯め、自分の殻を破っていくことが本当の目的なのに、いつの間にかパワースポットを回ること自体が目的になってしまったりする。(ほとんどの人がそうなのではないだろうか。)

                    結局は、感性を磨き、信号を得て、今どんな行動をするかにかかっている。ただ、それだけだ。その信号を感じるために霊的なエネルギーを使うだけ。それ自体はきっかけに過ぎない。問題を解決するのは自分自身なのだ。

                    霊を商売にしている人は多々いる。彼らは自分でもどこまでわかっているのかわかっていないが商売だから適当なことをいう。そうした商売に依存は危険だ。頼ることで自らの光を弱めてしまう。

                    本当に何でもわかるなら、その人自身が政治家や経営者にでもなればいいが、霊的な人は常識的なことが苦手だし、全部わかるわけでもない。

                    よく言われる例えだが、グラスに半分入った水をみて、「あと半分もある」というか、「あと半分しかない」とみるかで印象が大分変わる。同じ事象を見ても、占い師・霊能者の立場によっては全く違うことを言ったりするのだ。

                    見えない世界のほうがより慎重さが要求される。言葉通りでなかったり、言葉の概念が双方で違ったり、とにかくお手軽なものではない。

                    というものの、その人に合った段階が用意されているので、心の赴くままにして段々と深めていけばいい。当たり前かもしれないが、大成功している人ほど、陰にユタや官僚などのアドバイザーが付いている。

                    そして実は、神社仏閣などは堕天使と呼べるような人たちが大口寄付していたりする。映画「コンスタンティン」で大天使ガブリエルが堕天使になったように、何かに秀でている人は表裏一体の要素があるのだ。

                    よく私が、「善悪はない」というのは、こういうことを考えてみてもわかるだろう。
                    【2010.02.03 Wednesday 12:14】 author : oz
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                    情報が出てくるときには飽和状態
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                      世界の投資家にとって、ドバイは堅実な花形投資先であった。その逆に、北朝鮮はハイリスク・ハイリターンの投資先であった。投資とは、そのリスクの大きさによってリターンが決まってくるものだ。

                      しかし、昨今では投資家からのファンドに対する要望として、ローリスク・ハイリターンを求める声が多くなってきた。そんなことあり得るはずがないのに。しかし、ファンドも商売だ。口八丁手八丁の営業文句により、集められるだけ集め、後は額面割れしようが、

                      「預かってやってるんだから感謝しろ。自己責任だろ。」と思っているのが現実なのだ。


                      本来であればドバイは堅実なローリスク・ローリターンの投資先である。今までの金融工学的常識では、ポートフォリオを組んで資産を分配投資する一環で、ローリスク・ローリターンのドバイ、ハイリスク・ハイリターンの北朝鮮、の両方に投資するのが理論的に当たり前の世界であった。


                      しかし、今回の北朝鮮のあり得ない出来事によって、連鎖反応が起こり、堅実なドバイまでも潰れてしまった。これは、もうすでに今までの常識の投資の仕方では世界で通用しないということが証明されてしまったようなものだ。

                      例えば、私が尊敬するある投資家は、10年も前から風力発電に力を入れてきた。

                      10年前は「そんな風力発電なんかが流行るわけない!」と、散々言われてきたらしいが、今この時代になって、環境問題が取り上げられ風力発電はなくてはならないものになっている。


                      しかし、今から風力発電を始めようと考える人は星の数ほどいるので、今からやっても儲からない。市場はすでに飽和状態にある。投資するには、流行になってからでは、すでに遅いのである。


                      「これが儲かりそうだ!」
                      と情報が出てきたときには、そこはすでに飽和状態なのである。

                      ITバブルのときもそうだった。
                      「これからITが来そうだ!」という情報が一般に流れるようになったときには、すでにその世界は飽和状態であったのだ。

                      投資とは、そういうものだ。自分の目に見えるモノ、聞こえるコト、それだけを気にしたって何も始まらない。

                      大事なのは、時代の流れを読み、先の時代を見ること。そして、そういう世界に関わる人たちと関係を持つことなのだ。価値ある情報は人づてでしか流れない。

                      目に見えないモノ、そんなはずはない!と思わせるモノほど、大事なのだ。本当の投資についてもまたいずれ書こうと思う。
                      【2010.01.29 Friday 12:23】 author : oz
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